「矜哀」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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矜も哀もともにあわれむの意。[[如来]]の[[衆生]](しゅじょう)をあわれむ[[慈悲]]のこと。 | 矜も哀もともにあわれむの意。[[如来]]の[[衆生]](しゅじょう)をあわれむ[[慈悲]]のこと。 |
2008年2月15日 (金) 22:48時点における版
こうあい
深くあわれむこと。(教巻 P.136,行巻 P.206、信巻 P.241, 講私記 P.1070,改邪鈔 P.923)
矜も哀もともにあわれむの意。如来の衆生(しゅじょう)をあわれむ慈悲のこと。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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