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じょうにゅうがんしん
 
じょうにゅうがんしん
  
 国土荘厳・仏荘厳・菩薩荘厳として示される浄土の徳は、法蔵菩薩が生きとし生けるものを救いたいと願われた大悲の心にもとづくものであるから、因にかえしていえば阿弥陀仏の<ruby><rb>[[因位]]</rb><rp>(</rp><rt>いんに</rt><rp>)</rp></ruby>における法蔵菩薩の清浄願心におさまるということ。 ([[信巻本#P--242|信巻本 P.242]]、[[証巻#P--321|証巻 P.321]]、、[[浄土論註 (七祖)#P--47|論註P.47]])
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 国土荘厳・仏荘厳・菩薩荘厳として示される浄土の徳は、法蔵菩薩が生きとし生けるものを救いたいと願われた大悲の心にもとづくものであるから、因にかえしていえば阿弥陀仏の<ruby><rb>[[因位]]</rb><rp>(</rp><rt>いんに</rt><rp>)</rp></ruby>における法蔵菩薩の清浄願心におさまるということ。 ([[信巻本#P--242|信巻本 P.242]]、[[証巻#P--321|証巻 P.321]]、、[[浄土論註 (七祖)#P--100|論註P.100]])
  
 
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2010年5月6日 (木) 17:35時点における最新版

じょうにゅうがんしん

 国土荘厳・仏荘厳・菩薩荘厳として示される浄土の徳は、法蔵菩薩が生きとし生けるものを救いたいと願われた大悲の心にもとづくものであるから、因にかえしていえば阿弥陀仏の因位(いんに)における法蔵菩薩の清浄願心におさまるということ。 (信巻本 P.242証巻 P.321、、論註P.100)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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