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「体失不体失の往生の事」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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たいしつ ふたいしつ おうじょう のこと
 
たいしつ ふたいしつ おうじょう のこと
  
 体失往生、つまり、身体が滅びて初めて往生する(<kana>臨終業成(りんじゅうごうじよう))</kana>のか、不体失往生、つまり、身体が滅ばなくても<kana>信心獲得(ぎゃくとく)</kana>のとき浄土に生まれることが確定する([[平生業成|<kana>平生(へいぜい)</kana>業成]])のか、という問題についての論議。([[口伝鈔#P--896|口伝鈔 P.896]])
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 体失往生、つまり、身体が滅びて初めて往生する(<kana>臨終業成(りんじゅうごうじよう) )</kana>のか、不体失往生、つまり、身体が滅ばなくても<kana>信心獲得(ぎゃくとく)</kana>のとき浄土に生まれることが確定する([[平生業成|<kana>平生(へいぜい)</kana>業成]])のか、という問題についての論議。([[口伝鈔#P--896|口伝鈔 P.896]])
  
 
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2010年10月2日 (土) 21:55時点における版

たいしつ ふたいしつ おうじょう のこと

 体失往生、つまり、身体が滅びて初めて往生する(臨終業成(りんじゅうごうじよう)のか、不体失往生、つまり、身体が滅ばなくても信心獲得(ぎゃくとく)のとき浄土に生まれることが確定する(平生(へいぜい)業成)のか、という問題についての論議。(口伝鈔 P.896

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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