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「三諦相即」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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さんたいそうそく
 
さんたいそうそく
  
 空(くう)・仮(け)・中(ちゅう)の三諦が円融(えんにゅう)しているという天台(てんだい)宗の根本教理。 すべての存在は実体がなく、空無(くうむ)であり (空諦)、ただ因縁(いんねん)によって仮に存在しているだけであるが (仮諦)、実は空や仮によって一面的にとらえられるものではなく、言説思慮の胎生とはならない (中諦)。 この三諦が区別なく融合していることを三諦相即という。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--917|要集 P.917]])
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 <kana>空(くう)</kana>・<kana>仮(け)</kana>・<kana>中(ちゅう)</kana>の三諦が<kana>円融(えんにゅう)</kana>しているという天台宗の根本教理。 すべての存在は実体がなく、<kana>空無(くうむ)</kana>であり (空諦)、ただ<kana>因縁(いんねん)</kana>によって仮に存在しているだけであるが (仮諦)、実は空や仮によって一面的にとらえられるものではなく、言説思慮の胎生とはならない (中諦)。 この三諦が区別なく融合していることを三諦相即という。 ([[往生要集上巻 (七祖)#P--917|要集 P.917]])
  
 
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2017年12月5日 (火) 00:10時点における最新版

さんたいそうそく

 (くう)()(ちゅう)の三諦が円融(えんにゅう)しているという天台宗の根本教理。 すべての存在は実体がなく、空無(くうむ)であり (空諦)、ただ因縁(いんねん)によって仮に存在しているだけであるが (仮諦)、実は空や仮によって一面的にとらえられるものではなく、言説思慮の胎生とはならない (中諦)。 この三諦が区別なく融合していることを三諦相即という。 (要集 P.917)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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