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「御消息第二十通」の版間の差分

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   〈第二十通は、浄信房の上書と親鸞聖人の返書からなる。その返書では「信心の人は摂取不捨の利益(りやく)にあずかり正定聚(しょうじょうじゅ)・等正覚(とうしょうがく)の位に定まり、十方恒沙の如来が讃嘆されるところから仏と等しく、他力とは義なきを義とするということである」と説き示されている。『末灯鈔』(7)真蹟〉([[消息下#P--777|消息 P.777]])
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 〈第二十通は、浄信房の上書と親鸞聖人の返書からなる。その返書では「信心の人は摂取不捨の利<kana>益(りやく)</kana>にあずかり<kana>正定聚(しょうじょうじゅ)</kana>・<kana>等正覚(とうしょうがく)</kana>の位に定まり、十方恒沙の如来が讃嘆されるところから仏と等しく、他力とは義なきを義とするということである」と説き示されている。『末灯鈔』(7)真蹟〉([[消息下#P--777|消息 P.777]])
  
 
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2010年11月18日 (木) 23:37時点における版

 〈第二十通は、浄信房の上書と親鸞聖人の返書からなる。その返書では「信心の人は摂取不捨の利(りやく)にあずかり正定聚(しょうじょうじゅ)等正覚(とうしょうがく)の位に定まり、十方恒沙の如来が讃嘆されるところから仏と等しく、他力とは義なきを義とするということである」と説き示されている。『末灯鈔』(7)真蹟〉(消息 P.777)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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