「機」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 一つには機これ微(かすか)の義。故に易と云。機は動(く事) | + | 一つには機これ微(かすか)の義。故に易と云。機は動(く事)の微なり。吉の先現なり。また阿含に云。衆生に善法の機あり。聖人来りて応ずる也。衆生に将に生ぜんとすの善有り。此の善微微にして将に動かんとす。しかして機となすを得。若し将に生ぜんとすの善を機と爲す。 |
+ | これを結して促と為す。今、生の善を明すべし。この語則ち寛し。弩有りて可発の機あり。ゆえに射はこれを発す。発の則ち箭を動ず。発せずは則ち不前の如し。衆生生ず善の有るべし。ゆえに聖に応じて則ち善を生ず。則ち不生に応ぜず。ゆえに機と言うは微也。 | ||
二には、古注楞伽経云。機はこれ関の義。何者。衆生に善あり悪あり。関は聖の慈悲なり。ゆえに機はこれ関の義也。 | 二には、古注楞伽経云。機はこれ関の義。何者。衆生に善あり悪あり。関は聖の慈悲なり。ゆえに機はこれ関の義也。 | ||
三は、機はこれ宜(よし)の義。無明の苦を抜かんと欲するがごとし。正に悲において宜なり。法性の楽を與さんと欲す。正に宜は慈なり。ゆえに機はこれ宜の義也。 | 三は、機はこれ宜(よし)の義。無明の苦を抜かんと欲するがごとし。正に悲において宜なり。法性の楽を與さんと欲す。正に宜は慈なり。ゆえに機はこれ宜の義也。 |
2011年12月20日 (火) 22:41時点における版
機に三義有り。 一つには機これ微(かすか)の義。故に易と云。機は動(く事)の微なり。吉の先現なり。また阿含に云。衆生に善法の機あり。聖人来りて応ずる也。衆生に将に生ぜんとすの善有り。此の善微微にして将に動かんとす。しかして機となすを得。若し将に生ぜんとすの善を機と爲す。 これを結して促と為す。今、生の善を明すべし。この語則ち寛し。弩有りて可発の機あり。ゆえに射はこれを発す。発の則ち箭を動ず。発せずは則ち不前の如し。衆生生ず善の有るべし。ゆえに聖に応じて則ち善を生ず。則ち不生に応ぜず。ゆえに機と言うは微也。
二には、古注楞伽経云。機はこれ関の義。何者。衆生に善あり悪あり。関は聖の慈悲なり。ゆえに機はこれ関の義也。
三は、機はこれ宜(よし)の義。無明の苦を抜かんと欲するがごとし。正に悲において宜なり。法性の楽を與さんと欲す。正に宜は慈なり。ゆえに機はこれ宜の義也。