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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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浄土真宗は、名号を本尊とする特異な本尊論を有している。いわゆる『観経』華座観の立撮即行の形象本尊よりも文字(言葉)として顕現する仏を重視したのであった。蓮師の言葉を借りれば、「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」であるが、より正確にいえば凡夫の口先に称えられている、なんまんだぶこそが本尊である。<br>
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浄土真宗は、名号を本尊とする特異な本尊論を有している。いわゆる『観経』華座観の立撮即行の形像本尊よりも文字(言葉)として顕現する仏を重視したのであった。蓮師の言葉を借りれば、「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」であるが、より正確にいえば凡夫の口先に称えられている、なんまんだぶこそが本尊である。<br>
 
'''我弥陀 以名接物'''(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)のである。
 
'''我弥陀 以名接物'''(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)のである。
  

2013年1月28日 (月) 09:39時点における版

浄土真宗は、名号を本尊とする特異な本尊論を有している。いわゆる『観経』華座観の立撮即行の形像本尊よりも文字(言葉)として顕現する仏を重視したのであった。蓮師の言葉を借りれば、「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」であるが、より正確にいえば凡夫の口先に称えられている、なんまんだぶこそが本尊である。
我弥陀 以名接物(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)のである。

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