「散善」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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定善に対する語。散乱した心のままで悪を止め、善を修める行のこと。→[[定善]](じょうぜん)。 ([[消息上#P--736|御消息 P.736]]) | 定善に対する語。散乱した心のままで悪を止め、善を修める行のこと。→[[定善]](じょうぜん)。 ([[消息上#P--736|御消息 P.736]]) | ||
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2017年11月10日 (金) 17:40時点における版
さんぜん
定善に対する語。散乱した心のままで悪を止め、善を修める行のこと。→定善(じょうぜん)。 (御消息 P.736)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 散善
定善に対する語。散心のままで、悪を止め善を修める行のことで、世・戒・行の三福がある。「玄義分」には、
- 散はすなはち悪を廃してもつて善を修す(散即廃悪以修善)。(化身土巻引文(化巻 P.383))
とある。→十六観(浄土真宗辞典)
→定善
→三福