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「若念仏者…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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『観経』流通分の文。
 
『観経』流通分の文。
 
*<kana>若念仏者(にゃく-ねんぶつしゃ)</kana> <kana>当知此人(とうち-しにん)</kana> <kana>是人中分陀利華(ぜにんちゅう-ふんだりけ)</kana>。
 
*<kana>若念仏者(にゃく-ねんぶつしゃ)</kana> <kana>当知此人(とうち-しにん)</kana> <kana>是人中分陀利華(ぜにんちゅう-ふんだりけ)</kana>。
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:もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。
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::もし念仏するものがいるなら、まことにその人は白く清らかな蓮の花とたたえられる尊い人であると知るがよい。

2021年12月15日 (水) 19:21時点における版

にゃくねんぶつしゃ…

 「もし念仏するひとは。まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり」 (信巻訓)  (一多 P.682)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経』流通分の文。

  • 若念仏者(にゃく-ねんぶつしゃ) 当知此人(とうち-しにん) 是人中分陀利華(ぜにんちゅう-ふんだりけ)
もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。
もし念仏するものがいるなら、まことにその人は白く清らかな蓮の花とたたえられる尊い人であると知るがよい。