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「名号度生」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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みょうごう-どしょう
 
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名号〔なんまんだぶ〕を称えた者を浄土へ度(わた)し生まれさせること。[http://www.kanjipedia.jp/kanji/0005138700 度]
  
 
『安楽集』第一大門に、如来が衆生を済度する四種の方法のうち法施度生、身業度生、神通力度生、名号度生の四種度生の中の名号度生をいふ。<br />
 
『安楽集』第一大門に、如来が衆生を済度する四種の方法のうち法施度生、身業度生、神通力度生、名号度生の四種度生の中の名号度生をいふ。<br />
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二には身業度生、如来の相や浄土の相を、衆生の心に思い浮かばせる観察によって済度する方法。<br />
 
二には身業度生、如来の相や浄土の相を、衆生の心に思い浮かばせる観察によって済度する方法。<br />
 
三には神通力度生、如来が色々な不思議な力を現わして、それによって済度する方法。<br />
 
三には神通力度生、如来が色々な不思議な力を現わして、それによって済度する方法。<br />
四には名号度生。すなわち仏の名号を称えさせて衆生を済度する方法である。末法の時代には称名によって往生することが最も相応した教えであるといふ。<br />
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四には'''名号度生'''。すなわち仏の名号を称えさせて衆生を済度する方法である。末法の時代には称名のみによって往生することが可能である教えであるといふ。<br />
 
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安楽集』第一大門に、
 
:「 四には諸仏如来には無量の名号まします。もしは総、もしは別なり。 それ衆生ありて心を繋けて称念すれば、障を除き益を獲て、みな仏前に生ぜざるはなし。 すなはちこれ{{DotUL|名号をもつて衆生を度したまふ}}。
 
:「 四には諸仏如来には無量の名号まします。もしは総、もしは別なり。 それ衆生ありて心を繋けて称念すれば、障を除き益を獲て、みな仏前に生ぜざるはなし。 すなはちこれ{{DotUL|名号をもつて衆生を度したまふ}}。
 
:いまの時の衆生を計るに、すなはち仏世を去りたまひて後の第四の五百年に当れり。 まさしくこれ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時なり。」とある。([[安楽集 (七祖)#四種度生|安楽集 P.183]])
 
:いまの時の衆生を計るに、すなはち仏世を去りたまひて後の第四の五百年に当れり。 まさしくこれ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時なり。」とある。([[安楽集 (七祖)#四種度生|安楽集 P.183]])
とある「名号をもつて衆生を度したまふ(名号度衆生)」から名号度生といふ。
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とある「名号をもつて衆生を度したまふ(名号度衆生)」の語から名号度生といふ。
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:→[[両重因縁]]
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:→[[安心論題/所帰人法]]
  
  
 
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2018年3月22日 (木) 16:12時点における版

みょうごう-どしょう

名号〔なんまんだぶ〕を称えた者を浄土へ度(わた)し生まれさせること。

『安楽集』第一大門に、如来が衆生を済度する四種の方法のうち法施度生、身業度生、神通力度生、名号度生の四種度生の中の名号度生をいふ。
一には法施度生、如来が色々な説法をして、その法によって済度する方法。
二には身業度生、如来の相や浄土の相を、衆生の心に思い浮かばせる観察によって済度する方法。
三には神通力度生、如来が色々な不思議な力を現わして、それによって済度する方法。
四には名号度生。すなわち仏の名号を称えさせて衆生を済度する方法である。末法の時代には称名のみによって往生することが可能である教えであるといふ。
安楽集』第一大門に、

「 四には諸仏如来には無量の名号まします。もしは総、もしは別なり。 それ衆生ありて心を繋けて称念すれば、障を除き益を獲て、みな仏前に生ぜざるはなし。 すなはちこれ名号をもつて衆生を度したまふ
いまの時の衆生を計るに、すなはち仏世を去りたまひて後の第四の五百年に当れり。 まさしくこれ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時なり。」とある。(安楽集 P.183)

とある「名号をもつて衆生を度したまふ(名号度衆生)」の語から名号度生といふ。

両重因縁
名体不二
安心論題/所帰人法