「弥陀の大悲ふかければ」の版間の差分
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とあり、諸仏の大悲の左訓に「弥陀を諸仏ともうす、過度人道経(大阿弥陀経)のこころなり」とある。法性法身である阿弥陀如来が一如より「如-来」したのが諸仏であるという意であろう。 | とあり、諸仏の大悲の左訓に「弥陀を諸仏ともうす、過度人道経(大阿弥陀経)のこころなり」とある。法性法身である阿弥陀如来が一如より「如-来」したのが諸仏であるという意であろう。 | ||
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2018年3月30日 (金) 17:29時点における版
みだのだいひ
【頭註】「三十五の願のこころなり」(浄土 P.567)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『国宝本』には、
- 諸仏の大悲ふかければ
- 仏智の不思議をあらわして
- 変成男子の願をたて
- 女人成仏ちかひたり
とあり、諸仏の大悲の左訓に「弥陀を諸仏ともうす、過度人道経(大阿弥陀経)のこころなり」とある。法性法身である阿弥陀如来が一如より「如-来」したのが諸仏であるという意であろう。