「倶会一処」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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ともに一つの場所で会うということ。『小経』には 「かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり (諸上善人倶会一処)」 ([[小経#no5|註 124]]) と説かれている。なお、浄土真宗などでは墓石の正面にこの語を刻む場合もある。(浄土真宗辞典) | ともに一つの場所で会うということ。『小経』には 「かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり (諸上善人倶会一処)」 ([[小経#no5|註 124]]) と説かれている。なお、浄土真宗などでは墓石の正面にこの語を刻む場合もある。(浄土真宗辞典) | ||
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+ | とある。<br /> | ||
+ | 現代では死別の悲嘆(グリーフ)といふことが云われるが、浄土真宗では古くからまた会える世界を説いてきた。越前では死を迎えた者は、ウラ(わたし)は先にまいらせてもらうさけ(往生)、あわてんでもいいけどオメ(あなた)もまいらせてもらえよ、と[[倶会一処]]の世界を語っていた。 | ||
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2022年6月11日 (土) 20:34時点における版
くえいっしょ 倶会一処
ともに一つの場所で会うということ。『小経』には 「かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり (諸上善人倶会一処)」 (註 124) と説かれている。なお、浄土真宗などでは墓石の正面にこの語を刻む場合もある。(浄土真宗辞典)
『阿弥陀経』に、
- 舎利弗、衆生聞者、応当発願願生彼国。所以者何。得与如是諸上善人倶会一処。舎利弗、不可以少善根福徳因縁得生彼国。
- 舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。
とある。