「正道…生ず」の版間の差分
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相馬一意師は、その著『往生論註講読』で、性功徳成就の文を解説して、 | 相馬一意師は、その著『往生論註講読』で、性功徳成就の文を解説して、 | ||
− | : | + | :この「性功徳」のエネルギー源を、論は「正道の大慈悲」といい、また「出世の善根」と表現している。浄土は、差別を離れた絶対平等の仏の慈悲すなわち[[大悲]]によって[[荘厳]]されたものであり、阿弥陀仏の[[四十八願]]の成就によって得られたものであるからには、まさにそれは、「出世の善根」といわねばならない。大悲を根本としていて、願心に荘厳されたさとりの世界、これをいうのが性功徳成就である。 |
: なお、これまでの説明にあきらかなように、「正道の大慈悲」と「出世の善根」とは{{DotUL|同じものを指していて、同格に読まければならない}}。『浄土論』の文意からしても『論註』の釈からしても「正道の大慈悲は、出世の善根より生ず」などとは読めない。(『往生論註講読』p.70) | : なお、これまでの説明にあきらかなように、「正道の大慈悲」と「出世の善根」とは{{DotUL|同じものを指していて、同格に読まければならない}}。『浄土論』の文意からしても『論註』の釈からしても「正道の大慈悲は、出世の善根より生ず」などとは読めない。(『往生論註講読』p.70) | ||
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2024年3月1日 (金) 07:07時点における版
しょうどう…しょうず
通常は「(浄土は)正道大慈悲、出世の善根より生ず」と読む。正道は平等の大道、一如平等のさとりのこと。 (真巻 P.358)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
相馬一意師は、その著『往生論註講読』で、性功徳成就の文を解説して、
- この「性功徳」のエネルギー源を、論は「正道の大慈悲」といい、また「出世の善根」と表現している。浄土は、差別を離れた絶対平等の仏の慈悲すなわち大悲によって荘厳されたものであり、阿弥陀仏の四十八願の成就によって得られたものであるからには、まさにそれは、「出世の善根」といわねばならない。大悲を根本としていて、願心に荘厳されたさとりの世界、これをいうのが性功徳成就である。
- なお、これまでの説明にあきらかなように、「正道の大慈悲」と「出世の善根」とは同じものを指していて、同格に読まければならない。『浄土論』の文意からしても『論註』の釈からしても「正道の大慈悲は、出世の善根より生ず」などとは読めない。(『往生論註講読』p.70)
と述べておられた。 「正道の大慈悲は出世の善根より生ず」と読めば、出世の善根より正道の大慈悲が生じたといふ意味になり、浄土は正道の大慈悲であるような出世の善根より生起したといふ意味が見えにくくなるといふことである。 なお、七祖篇の『論註』では「正道の大慈悲、出世の善根より生ず」 (論註 P.60)と同格に訓(よ)んでいる。
- 又云
- 正道大慈悲 出世善根生
- 此二句 名荘厳性功徳成就。{乃至}
- 性是本義。言 此浄土 随順法性 不乖法本。事同華厳経 宝王如来性起義。
- 又言 積習成性。指法蔵菩薩 集諸波羅蜜 積習所成。
- 亦言 性者 是聖種性。序法蔵菩薩 於世自在王仏所 悟無生忍。爾時位 名聖種性。於是性中 発四十八大願 修起此土 即曰安楽浄土。是彼因所得。果中説因 故名為性。
- 又言性者 是必然義 不改義。如海性一味 衆流入者 必為一味 海味不随彼改也。
- 又如人身性 不浄故 種種妙好色・香・美味 入身皆為不浄。
- 安楽浄土 諸往生者 無不浄色 無不浄心 畢竟皆得 清浄平等 無為法身。
- 以安楽国土清浄性 成就故。
- 正道{大道}大慈悲 出世善根生者
- 平等大道也。
- 平等道 所以名為 正道者 平等是諸法体相。以諸法平等故 発心等 発心等故 道等 道等故 大慈悲等 大慈悲是仏道正因故。言正道大慈悲。慈悲有三縁。
- 一者衆生縁 是小悲。二者有縁 是中悲。三者無縁 是大悲。大悲即是出世善也。
- 安楽浄土 従此大悲生故。故謂此大悲 為浄土之根故。曰出世善根生。