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「唯信」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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   『交名牒きょうみようちょう』には、親鸞聖人の直弟子に唯信という名が二人あがっている。一人は常陸(ひたち)国奥郡(おうぐん)(現在の茨城県の北部)、一人は会津に居住していた。そのほか、孫弟子として、常陸国鹿島の順信の弟子、下野(しもつけ)国(現在の栃木県)那須(なす)の信願の弟子にも唯信の名が見える。([[消息下#P--794|消息 P.794]])
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 『<kana>交名牒(きょうみようちょう)</kana>』には、親鸞聖人の直弟子に唯信という名が二人あがっている。一人は<kana>常陸(ひたち)</kana>国<kana>奥郡(おうぐん)</kana>(現在の茨城県の北部)、一人は会津に居住していた。そのほか、孫弟子として、常陸国鹿島の順信の弟子、<kana>下野(しもつけ)</kana>国(現在の栃木県)<kana>那須(なす)</kana>の信願の弟子にも唯信の名が見える。([[消息下#P--794|消息 P.794]])
  
 
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2017年10月19日 (木) 15:31時点における版

ゆいしん

 『交名牒(きょうみようちょう)』には、親鸞聖人の直弟子に唯信という名が二人あがっている。一人は常陸(ひたち)奥郡(おうぐん)(現在の茨城県の北部)、一人は会津に居住していた。そのほか、孫弟子として、常陸国鹿島の順信の弟子、下野(しもつけ)国(現在の栃木県)那須(なす)の信願の弟子にも唯信の名が見える。(消息 P.794)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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