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「二十九有」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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にじゅうくう
 
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:1.二十九回目の生。初果の聖者(しょうじゃ)(須陀果(しゅだおんか)を得たもの)は、人間界に七生、天上界に七生、またそれぞれ生の終りから次の生を得るまでの中有(ちゅうう)の状態(死と生の間の中間的存在)の十四生、合せて二十八生を経れば、さらに二十九回目の生をうけず、完全な涅槃(ねはん)に入ることができるとされる。
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:1.二十九回目の生。[[初果]]の<kana>聖者(しょうじゃ)</kana>(<kana>[[須陀]]果(しゅだおんか)</kana>を得たもの)は、人間界に七生、天上界に七生、またそれぞれ生の終りから次の生を得るまでの<kana>中有(ちゅうう)</kana>の状態(死と生の間の中間的存在)の十四生、合せて二十八生を経れば、さらに二十九回目の生をうけず、完全な<kana>涅槃(ねはん)</kana>に入ることができるとされる。
  
:2.二十五有のうち浄居(じょうご)天をさらに無煩・無熱・善現・善見・色究竟天(しきくきょうてん)の五つに分けて二十九としたもの。迷いの生存のすべて。→[[二十五有]](にじゅうごう)。
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:2.二十五有のうち<kana>浄居(じょうご)</kana>天をさらに無煩・無熱・善現・善見・<kana>色究竟天(しきくきょうてん)</kana>の五つに分けて二十九としたもの。迷いの生存のすべて。→[[二十五有]](にじゅうごう)。
  
 
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2005年11月3日 (木) 16:54時点における版

にじゅうくう

1.二十九回目の生。初果聖者(しょうじゃ)須陀(しゅだおんか)を得たもの)は、人間界に七生、天上界に七生、またそれぞれ生の終りから次の生を得るまでの中有(ちゅうう)の状態(死と生の間の中間的存在)の十四生、合せて二十八生を経れば、さらに二十九回目の生をうけず、完全な涅槃(ねはん)に入ることができるとされる。
2.二十五有のうち浄居(じょうご)天をさらに無煩・無熱・善現・善見・色究竟天(しきくきょうてん)の五つに分けて二十九としたもの。迷いの生存のすべて。→二十五有(にじゅうごう)。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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