「至心に回向したまへり」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転 | 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転 |
2005年11月6日 (日) 23:53時点における版
ししんにえこうしたまえり
通常は「至心に回向して」と読む。親鸞聖人は如来回向の義をあらわすために、このように読みかえられた。(大経 P.41、信巻 P.250,浄文 P.493)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転