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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 阿弥陀如来は久遠の昔に成仏されたが、仮に法蔵菩薩になり<ruby><rb>発願</rb><rp>(</rp><rt>ほつがん</rt><rp>)</rp></ruby>修行されたのは、<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>を救うためのお手まわしであるということ。([[真要鈔#P--969|真要鈔 P.969]], [[一代記#P--1263|一代記 P.1263]])
 
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 久遠の昔に阿弥陀如来が、<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>を救うためのてだてとして、法蔵菩薩の<ruby><rb>発願</rb><rp>(</rp><rt>ほつがん</rt><rp>)</rp></ruby>修行、十劫の昔の成道の相を示したことをいう。 ([[真要鈔#P--969|真要鈔 P.969]])
  
 
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2008年1月12日 (土) 20:55時点における版

かごのほうべん

 阿弥陀如来は久遠の昔に成仏されたが、仮に法蔵菩薩になり発願(ほつがん)修行されたのは、衆生(しゅじょう)を救うためのお手まわしであるということ。(真要鈔 P.969, 一代記 P.1263)

 久遠の昔に阿弥陀如来が、衆生(しゅじょう)を救うためのてだてとして、法蔵菩薩の発願(ほつがん)修行、十劫の昔の成道の相を示したことをいう。 (真要鈔 P.969)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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