「秘事法門」の版間の差分
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「信を仏辺に仰ぎ、慈悲を罪悪[[機]]中に味わう」という言葉があるが、慈悲を仏の方へ仰ぎ、信を機に求めるとこうなってしまうのだろう。「こんな者をなぁ」と仏の慈悲を機の煩悩の中に見つめ(機の深信)、必ず浄土へ往生させるという仏の信を仰信(法の深信)するのが[[二種深信]]である。 | 「信を仏辺に仰ぎ、慈悲を罪悪[[機]]中に味わう」という言葉があるが、慈悲を仏の方へ仰ぎ、信を機に求めるとこうなってしまうのだろう。「こんな者をなぁ」と仏の慈悲を機の煩悩の中に見つめ(機の深信)、必ず浄土へ往生させるという仏の信を仰信(法の深信)するのが[[二種深信]]である。 |
2009年8月27日 (木) 13:56時点における版
ひじぼうもん
主張するところの教義を秘密の儀礼をとおして伝授する法門。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
各種の方法で人に心理的変化を起こさせ、それを信心獲得だと教える秘事法門は近年まで越前にはよくあった。
質問攻めと議論で疲労困憊した信者を善知識が本尊のまえへ連れて行く。紹介した二人が信者の両手を取り身体を三回前後に揺らし、善知識が「これで三願転入した、間違いなく信心が頂けた」と宣言するなどである。
社会生活に適応できないほど信心というものがらに迷っている場合には、その状態から抜け出させる為にある意味で有用な手法ではあるがお節介である。
「信を仏辺に仰ぎ、慈悲を罪悪機中に味わう」という言葉があるが、慈悲を仏の方へ仰ぎ、信を機に求めるとこうなってしまうのだろう。「こんな者をなぁ」と仏の慈悲を機の煩悩の中に見つめ(機の深信)、必ず浄土へ往生させるという仏の信を仰信(法の深信)するのが二種深信である。