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「正習の二障」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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しょうじゅうのにしょう
 
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 正使と習気の二つの障り。正使は煩悩の体のこと。習気(じっけ)は、煩悩の体が断ぜられても習慣となって残る煩悩のはたらきのこと。([[信巻本#P--218|信巻 P.218]])
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 正使と習気の二つの障り。正使は煩悩の体のこと。習気(じっけ)は、煩悩の体が断ぜられても習慣となって残る煩悩のはたらきのこと。([[信巻本#P--218|信巻 P.218]]、[[観経疏 散善義 (七祖)#P--458|散善義 P.458]])
  
 
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2010年5月19日 (水) 18:11時点における版

しょうじゅうのにしょう

 正使と習気の二つの障り。正使は煩悩の体のこと。習気(じっけ)は、煩悩の体が断ぜられても習慣となって残る煩悩のはたらきのこと。(信巻 P.218散善義 P.458)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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