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「おくねん」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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「念」は、心に刻んで忘れない取り<kana>持(たも)</kana>つということ。「憶」は、それを常に思い出すこと。<br>
 
「念」は、心に刻んで忘れない取り<kana>持(たも)</kana>つということ。「憶」は、それを常に思い出すこと。<br>
『唯信鈔文意』p.705では、「憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。」とされておられる。
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『唯信鈔文意』p.705では、「憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。」とされておられる。この場合「本願をつねにおもひ」が念であり「おもひいづるこころのたえぬ」が憶の意であろう。
  
なお和語の「おもう」を表す漢字には、思、想、意、念、謂、憶、惟、懐、顧などがあり、それぞれ微妙に意味が異なる。
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なお和語の「おもう」を表す漢字には、思、想、意、念、謂、憶、惟、懐、顧などがあり、それぞれの漢字ごとに微妙に意味が異なる。

2012年10月13日 (土) 11:14時点における版

憶念

 心に思いたもつこと。心に念じて忘れないこと。

浄土真宗では、とくに阿弥陀仏本願を信ずること、また本願のいわれを聞いて心にたもち常に思い出して忘れないこととして用いられる。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「念」は、心に刻んで忘れない取り(たも)つということ。「憶」は、それを常に思い出すこと。
『唯信鈔文意』p.705では、「憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。」とされておられる。この場合「本願をつねにおもひ」が念であり「おもひいづるこころのたえぬ」が憶の意であろう。

なお和語の「おもう」を表す漢字には、思、想、意、念、謂、憶、惟、懐、顧などがあり、それぞれの漢字ごとに微妙に意味が異なる。