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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2014年1月20日 (月) 14:07時点における版

聖覚法印表白文

法然上人之御前而 隆信右京大夫入道{法名戒佛} 親盛大和入道{法名見佛} 為上人之御報恩謝徳修御仏事 御道師法印聖覚表白詞曰

夫根有利鈍者 教有漸頓 機有奢促者 行有難易。

それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。

当知 聖道諸門漸教也 又難行也。

まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。

浄土一宗者頓教也 又易行也。

浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。

所謂真言止観之行 獼猴情難学 三論法相之教 牛羊眼易迷。

いはゆる真言・止観の行、獼涙の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし。

然至我宗者 弥陀本願 定行因於十念 善導料簡 決器量於三心。

しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。

雖非利智精進 専念実易勤 雖非多聞広学 信力何不備。

利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。
  • {以下乃至の文}

況諭滅罪之功力 消五逆於称名之十声 談生善之徳用 極十地於順次之一生。

いわんや滅罪の功力を諭ずれば、五逆を称名の十声に消し、生善の徳用を断ずれば、十地を順次の一生に極む。

依之濁世之凡夫 横截五趣之昏衢 末代之愚士堅極九品之階級。

これに依って濁世の凡夫、横に五趣の昏衢を截り、末代の愚士、堅に九品の階級を極む。
  • {ここまで}

然我大師聖人 為釈尊之使者 弘念仏一門 為善導之再誕 勧称名一行。

しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。

専修専念之行 自此漸弘 無間無余之勤 在今始知。

専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。

然則破戒罪根之輩 加肩入往生之道 下智浅才之類 振臂赴浄土之門。

しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。

誠知 無明長夜之大灯炬也 何悲智眼闇。

まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。

生死大海之大船筏也 豈煩業障重。

生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや。
  • {以下後略の文}

爰法王 幸依上人化導大信 彼仏本願 浄土往生 敢不残疑 弥陀来迎只専憑者歟。

ここに法王、幸いに上人の化導に依りて、大いにかの仏の本願を信ぜしめり、浄土往生、あえて疑を残さず、弥陀の来迎ただもっぱら憑むべきものか。

豈圖悠悠生死 以今生為最後 漫漫流転 以此身為際限。

あに、はかりきや悠悠たる生死、今生を以て最後となし、漫漫たる流転、この身を以て際限となす。

倩思教授恩徳 実等弥陀悲願者歟。

つらつら教授の恩徳を思えば、実に弥陀の悲願に等しきものか。

粉骨可報之 摧身可謝之。

骨を粉(こ)にしてこれを報ずべし、身を摧いてこれを謝すべし。

依之報恩斎会 修於眼前 知遇願念萌於心中。

これに依て報恩の斎会、眼前に修し知遇の願念、心中にきざす。

願弥陀如来・善導和尚 鑑信心垂哀愍 大師上人 同学等侶 照懇志致随喜。

願わくは弥陀如来・善導和尚、信心をかんがみて哀愍を垂れ、大師上人、同学等侶、懇志を照らして随喜をいたしたまへ。

自他同往生極楽界 師弟共奉仕弥陀仏。

自他同じく極楽界に往生し、師弟ともに弥陀仏に奉仕せん。

蓮華初開之時 先悟今日之縁 引接結縁之夕 必導今日之衆。

蓮華初開の時、まず今日の縁を悟り、引接結縁の夕べ、必ず今日の衆を導かんと。