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聖覚法印表白文

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 『尊号真像銘文』所収の「法印聖覚和尚の銘文」は、法然聖人の六七日(む-なぬか)に修した仏事での聖覚法印の「表白文」からとされる[1]。聖覚法印(1167~1235)は、藤原通憲の孫で父澄憲の開いた安居院流の唱導(説教)師として安居院法印聖覚と呼ばれた。『唯信鈔』や『登山状』(拾遺黒谷語灯録 巻中)などにみられる聖覚法印の流暢な文体は師の文才をおもわせる。聖覚法印は、御開山より六歳年長であり、御開山が比叡山で聖道門の修行に行きづまり、生死出づべき道に懊悩していたころに、法然聖人の下へ参じる縁となる法然浄土教の大まかな概要を伝えた人とされる。御開山は晩年に至るまで、聖覚法印を「この世にとりてはよきひとびとにておはします」と関東の門弟に聖覚の『唯信鈔』をお奨めであった(御消息4)。御開山は『尊号真像銘文』において、この『聖覚法印表白文』を{乃至}や{略抄}とされておられ、「倩思教授恩徳実等弥陀悲願者(つらつら教授の恩徳を思えば、実に弥陀の悲願に等しきものか)」以下の文を取捨しておられるので原文を『浄土真宗聖教全書ニ』からUPした。ともあれ、我々門徒としては、御開山の作られた和讃の、口になずみ耳に覚えた、如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし……の「恩徳讃」の出拠の一つとしての聖覚法印の「表白文」である。『尊号真像銘文』で引文されておられない部分は背景をグレーで示した。


聖覚法印表白文

法然上人之御前而 隆信右京大夫入道{法名戒佛}[2] 親盛大和入道{法名見佛} 為上人之御報恩謝徳修御仏事 御道師法印聖覚表白詞曰

法然上人の御前にして隆信右京大夫入道{法名戒佛} 親盛大和入道{法名見佛} 上人の御報恩謝徳の為に御仏事を修す。御道師 法印聖覚の表白の詞(ことば)に曰く。

夫根有利鈍者 教有漸頓 機有奢促者 行有難易。

それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。

当知 聖道諸門漸教也 又難行也。

まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。

浄土一宗者頓教也 又易行也。

浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。

所謂真言止観之行 獼猴情難学 三論法相之教 牛羊眼易迷。

いはゆる真言・止観の行、獼猴の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし[3]

然至我宗者 弥陀本願 定行因於十念 善導料簡 決器量於三心。

しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。

雖非利智精進 専念実易勤 雖非多聞広学 信力何不備。

利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。
  • {以下乃至の文}

況諭滅罪之功力 消五逆於称名之十声 談生善之徳用 極十地於順次之一生。

いわんや滅罪の功力を諭ずれば、五逆を称名の十声に消し、生善の徳用を談ずれば、十地を順次の一生に極む。

依之濁世之凡夫 横截五趣之昏衢[4] 末代之愚士堅極九品之階級。

これに依って濁世の凡夫、横に五趣の昏衢を截り、末代の愚士、堅に九品の階級を極む。
  • {ここまで}

然我大師聖人 為釈尊之使者 弘念仏一門 為善導之再誕 勧称名一行。

しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。

専修専念之行 自此漸弘 無間無余之勤 在今始知。

専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。

然則破戒罪根之輩 加肩入往生之道 下智浅才之類 振臂赴浄土之門。

しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて[5]往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。

誠知 無明長夜之大灯炬也 何悲智眼闇。

まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。

生死大海之大船筏也 豈煩業障重。

生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや。[6]

{漢文の略抄はここまで}

  • {略の文}

爰法王 幸依上人化導 大信彼仏本願 浄土往生 敢不残疑 弥陀来迎只専憑者歟。

ここに法王、幸いに上人の化導に依りて、大いにかの仏の本願を信ぜしめり、浄土往生、あえて疑を残さず、弥陀の来迎ただもっぱら憑むべきものか。

豈圖悠悠生死 以今生為最後 漫漫流転 以此身為際限。

あに、はかりきや悠悠たる生死、今生を以て最後となし、漫漫たる流転、この身を以て際限となす。
  • {ここまで}

倩思教授恩徳 実等弥陀悲願者歟。

つらつら教授の恩徳を思えば、実に弥陀の悲願に等しきものか。

粉骨可報之 摧身可謝之

骨を()にしてこれを報ずべし、身を摧いてこれを謝すべし。[7]
  • {以下後略の文}

依之報恩斎会 修於眼前 知遇願念萌於心中。

これに依て報恩の斎会、眼前に修し知遇の願念、心中にきざす。

願弥陀如来・善導和尚 鑑信心垂哀愍 大師上人 同学等侶 照懇志致随喜。

願わくは弥陀如来・善導和尚、信心をかんがみて哀愍を垂れ、大師上人、同学等侶、懇志を照らして随喜をいたしたまへ。

自他同往生極楽界 師弟共奉仕弥陀仏。

自他同じく極楽界に往生し、師弟ともに弥陀仏に奉仕せん。

蓮華初開之時[8] 先悟今日之縁 引接結縁之夕 必導今日之衆。

蓮華初開の時、まず今日の縁を悟り、引接結縁の夕べ、必ず今日の衆を導かんと。



  1. 『浄土真宗聖教全書ニ』の解説。
  2. 建仁元年又は二年(1201? 1202?)に出家した藤原隆信(1142~1205)であるとされる。この場合は、この「表白文」は法然聖人(1133~1212)在世の頃に聖人の御前で催された仏事の為に著されたことになる。
  3. 『摩訶止観』に六即を釈して、名字即者。理雖即是日用不知。以未聞三諦全不識佛法。如牛羊眼不解方隅。
    名字即とは、理は即ち是なりと雖も日に用いて知らず、未だ三諦を聞かざるを以て全く仏法を識らず、牛羊の眼の方隅を解せざるが如し。
    とあり、牛羊の眼とは心の眼で徹見するのではなく、ただ肉眼だけで見て迷うことをいう。
  4. 昏衢(こん-く)。昏はくらいで、衢は道、ちまたの意。『無量寿経』には「横截五悪趣(横に五悪趣を截り)」と悪趣とあるのと同意。
  5. 肩を加(きし)りて。肩と肩を触れ合うようにといふ意。
  6. 『正像末和讃』(36)の、
    無明長夜の灯炬なり  智眼くらしとかなしむな  生死大海の船筏なり  罪障おもしとなげかざれ
    の出拠。
  7. 如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も  ほねをくだきても謝すべし
    の出拠の一であろう。骨身を惜しまず一生懸命に働く意で、身を粉にし、骨を砕くほど努力することをいう。粉骨砕身(ふんこつ-さいしん)という四字熟語がある。なお『観念法門』p.637に「連劫累劫に身を粉にし骨を砕きて仏恩の由来を 報謝して」と粉身砕骨とあるによるか。
  8. 蓮華初開之時(れんげ-しょかいのとき)。『往生要集』大文第二p.859の十楽の蓮華初開楽の文から、浄土へ往生して蓮華の花が初めて開く時という意。