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「夫根有利鈍者…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ふこんうりどんしゃ…
 
ふこんうりどんしゃ…
  
 「それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。いはゆる真言・止観の行、獼涙の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし。しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。(乃至)しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや」(高田派専修寺蔵宗祖真蹟「聖覚法印表白文」訓)([[尊号真像銘文#P--667|尊号 P.667]])
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 「それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。いはゆる真言・止観の行、獼猴の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし。しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。(乃至)しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや」(高田派専修寺蔵宗祖真蹟「聖覚法印表白文」訓)([[尊号真像銘文#P--667|尊号 P.667]])
  
 
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2014年1月20日 (月) 15:10時点における最新版

ふこんうりどんしゃ…

 「それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。いはゆる真言・止観の行、獼猴の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし。しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。(乃至)しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや」(高田派専修寺蔵宗祖真蹟「聖覚法印表白文」訓)(尊号 P.667)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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