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「伏して…悟りて」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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伏承尊悟歓喜地 帰阿弥陀生安楽
 
伏承尊悟歓喜地 帰阿弥陀生安楽
:が聖人の所覧本では<br>
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:伏して<kana>承(うけたまわ)</kana>るに尊(龍樹)、歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり。
伏承尊語歓喜地 帰阿弥陀生安楽<br>
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が聖人の所覧本では、悟が語となっていたので、<br />
と、悟が語となっていたと思われる。
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伏承尊語歓喜地 帰阿弥陀生安楽
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:尊語を伏承して歓喜地にして、阿弥陀に帰して安楽に生ぜしむ。 ([[真巻#P--363|真巻 P.363]])
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と、読まれたのであろう。
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2017年7月11日 (火) 18:55時点における版

ふして…さとりて

 親鸞聖人は 「尊語を伏承し歓喜地にして」 (真仏土文類訓) と読まれた。 (讃弥陀偈 P.176)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

伏承尊悟歓喜地 帰阿弥陀生安楽

伏して(うけたまわ)るに尊(龍樹)、歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり。

が聖人の所覧本では、悟が語となっていたので、

伏承尊語歓喜地 帰阿弥陀生安楽

尊語を伏承して歓喜地にして、阿弥陀に帰して安楽に生ぜしむ。 (真巻 P.363)

と、読まれたのであろう。