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「行業」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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行は行為で業はそのはたらきのことで、仏果を得るための仏道の修行をいう。<br>
 
行は行為で業はそのはたらきのことで、仏果を得るための仏道の修行をいう。<br>
親鸞聖人は、『三経往生文類』で「この如来の往相回向につきて、真実の行業あり。すなはち諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり」と述べられて、衆生の行為によるのではなく阿弥陀如来の本願力の回向によって仏果を得ることができるとされた。
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親鸞聖人は、『三経往生文類』で
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:「この如来の往相回向につきて、真実の行業あり。すなはち諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり」([[三経往生文類#no2|三経 P.625]])
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と述べられて、衆生の行為によるのではなく阿弥陀如来の本願力の回向によって仏果を得ることができるとされた。 →[[正定業]]
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2017年7月20日 (木) 14:47時点における版

ぎょう-ごう

行は行為で業はそのはたらきのことで、仏果を得るための仏道の修行をいう。
親鸞聖人は、『三経往生文類』で

「この如来の往相回向につきて、真実の行業あり。すなはち諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり」(三経 P.625)

と述べられて、衆生の行為によるのではなく阿弥陀如来の本願力の回向によって仏果を得ることができるとされた。 →正定業