三経往生文類

出典: 浄土真宗聖典プロジェクト『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
移動先: 案内検索

詳しくは『浄土三経往生文類』という。「三経往生」とは大経往生、観経往生、阿弥陀経往生のことである。

 大経往生とは、『大経』にもとづいて阿弥陀如来の第十八願の法を信じ、現生に正定聚に住して真実報土の往生をとげることであり、これを難思議往生という。ここでは第十八願・第十一願の願文や成就文によってそれが示され、さらに『論註』の文で助顕されている。なお本書には広略の2本があるが、広本では、この大経往生の部分で第十七願の願文や成就文等が付加されている。
 観経往生とは、『観経』顕説の教えにもとづいて、自力心をもって諸善万行を修し、方便化土に往生することであり、これを双樹林下往生という。ここでは第十九願の願文と成就文、第二十八願の成就文、『悲華経』の文によってそれが示され、さらに『往生要集』の文によって報土と化土の違いが顕されている。
 阿弥陀経往生とは、『小経』顕説の教えにもとづいて、自力の称名を行じ、七宝の牢獄といわれる疑城胎宮に往生することであり、これを難思往生という。ここでは第二十願の願文・成就文によってそれが示され、「定善義」や『述文賛』の文で助顕されている。

 このように本書は、いわゆる三願・三経・三往生という真宗教義の基本を簡潔に述べたものである。


三経往生文類

   浄土三経往生文類


【1】 大経往生といふは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力と申すなり。これすなはち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土に至る。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆゑに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆゑに大経往生と申す、また難思議往生と申すなり。

【2】 この如来の往相回向につきて、真実の行業あり。すなはち諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり。称名の悲願は『大無量寿経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟しわが名をせずは、正覚を取らじ」と。[文]

 称名・信楽の悲願(第十七・十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳、不可思議なるを讃嘆したまふ。あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜して乃至一念せん。至心回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と正法を誹謗するを除く」と。[文]

【3】 また真実信心あり。すなはち念仏往生の悲願(第十八願)にあらはれたり。 信楽の悲願は『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生れんと欲うて、乃至十念せん。もし生れずは、正覚を取らじと。ただ五逆と正法を誹謗せんを除かん」と。[文]

 同本異訳の『無量寿如来会』(上)にのたまはく、「もしわれ無上覚を証得せんとき、余の仏のうちのもろもろの有情類、わが名を聞きをはりて、所有の善根、心々回向して、わが国に生れんと願じて、乃至十念せん。もし生れずは、菩提を取らじと。ただ無間悪業を造り、正法およびもろもろの聖人を誹謗せんを除かん」と。[文]

【4】 また真実証果あり。すなはち必至滅度の悲願(第十一願)にあらはれたり。証果の悲願、『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ」と。[文]

 同本異訳の『無量寿如来会』(上)にのたまはく、「もしわれ成仏せんに、国のうちの有情、もし決定して等正覚を成り大涅槃を証せずは、菩提を取らじ」と。[文]

 『無量寿如来会』(下)にのたまはく、「他方仏国の諸有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜愛楽せん。あらゆる善根回向して、無量寿国に生れんと願ぜば、願に随うてみな生れて、不退転乃至無上正等菩提を得んと。五無間と正法を誹謗し、および聖者を謗ぜんをば除かん」と。

 必至滅度・証大涅槃の願(第十一願)成就の文、『大経』(下)にのたまはく、 「それ衆生あつてかの国に生れんもの、みなことごとく正定の聚に住せん。ゆゑはいかんとなれば、かの仏国のうちにはもろもろの邪聚および不定聚はなければなり」。[文]

 また、『如来会』(下)にのたまはく、 「かの国の衆生と、もしまさに生れんもの、みなことごとく無上菩提を究竟涅槃の処に到らん。なにをもつてのゆゑに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆゑなり」と。{以上抄要}

【5】 この真実の称名と真実の信楽をえたる人は、すなはち正定聚の位に住せしめんと誓ひたまへるなり。この正定聚に住するを等正覚を成るとものたまへるなり。等正覚と申すは、すなはち補処の弥勒菩薩とおなじ位となると説きたまへり。しかれば、『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。

 『浄土論』(論註・下)にいはく、「〈荘厳妙声功徳成就は、偈に《梵声悟深遠微妙聞十方》とのたまへるがゆゑに〉と。これいかんぞ不思議なるや。『経』(平等覚経)にのたまはく、〈もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生れんと願ずると、また往生を得ると、すなはち正定聚に入る〉と。

これはこれ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。{乃至}〈荘厳眷属功徳成就は、偈に《如来浄華衆正覚華化生》とのたまへるがゆゑに〉と。これいかんぞ不思議なるや。おほよそこれ雑生の世界は、もしは胎もしは卵、もしは湿もしは化、眷属そこばくなり、苦楽万品なり。雑業をもつてのゆゑに。かの安楽国土はこれ阿弥陀如来の正覚浄華の化生する所にあらざることなし。 同一に念仏して別の道なきがゆゑに。遠く通ずるにそれ四海の内みな兄弟とするなり、眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや」。

 また、のたまはく(論註・下)、「往生を願ずるもの、本はすなはち三三の品なれども、いまは一二の殊なることなし。また淄澠の一味なるがごとし。いづくんぞ思議すべきや」。{以上}

 また、『論』(同・下)にいはく、「〈荘厳清浄功徳成就は、偈に《観彼世界相勝過三界道》とのたまへるがゆゑに〉と。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるあつて、またかの浄土に生を得るに、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得。いづくんぞ思議すべきや」。{以上抄要}

【6】 この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思議往生と申す。これをこころえて、他力には義なきを義とすとしるべし。

【7】 二つに還相の回向といふは、『浄土論』にいはく、「本願力の回向をもつてのゆゑに、これを出第五門と名づく」といへり。これは還相の回向なり。一生補処の悲願(第二十二願)にあらはれたり。

 大慈大悲の願(第二十二願)、『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、わが国に来生すれば、究竟してかならず一生補処に至る。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊びて、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除かんと。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ」と。[文]

 この悲願は、如来の還相回向の御ちかひなり。

【8】 如来の二種の回向によりて、真実の信楽をうる人は、かならず正定聚の位に住するがゆゑに他力と申すなり。しかれば『無量寿経優婆提舎願生偈』にいはく、「いかんが回向したまへる。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり。

 これは『大無量寿経』の宗致としたまへり。これを難思議往生と申すなり。

【9】 観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。これは他力のなかに自力を宗致としたまへり。このゆゑに観経往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。 これを双樹林下往生と申すなり。

【10】 至心発願の願(第十九願)、『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得んに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生れんと欲はん。寿終らんときに臨まんに、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」と。[文]

 また、『悲華経』「大施品」にのたまはく、「願はくは、われ阿耨多羅三藐三菩提を成りをはらんに、その余の無量無辺阿僧祇の諸仏世界の所有の衆生、もし阿耨多羅三藐三菩提心を発し、もろもろの善根を修して、わが界に生れんと欲はば、臨終のとき、われまさに大衆と囲繞してその人の前に現ずべし。その人われを見て、すなはちわが前にして心に歓喜を得て、われを見るをもつてのゆゑに、もろもろの障碍を離れてすなはち身を捨ててわが界に来生せしめん」と。[文]

 至心発願の願(第十九願)成就の文、『大経』(下)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、十方世界の諸天・人民、それ心を至して、かの国に生れんと願ずることあらん。おほよそ三輩あり。その上輩は、家を捨て欲を棄てて沙門となり、菩提心を発して一向にもつぱら無量寿仏を念じ、もろもろの功徳を修してかの国に生れんと願ぜん。これらの衆生、寿終らんときに臨みて、無量寿仏、もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。{乃至}

阿難、それ衆生あつて、今世において無量寿仏を見たてまつらんと欲うて、無上菩提の心を発し功徳を修行してかの国に生れんと願ずべし。仏、阿難に語りたまはく、それ中輩は、十方世界の諸天・人民、それ心を至してかの国に生れんと願ずることあらん。行じて沙門となり、大きに功徳を修することあたはずといへども、まさに無上菩提の心を発して一向にもつぱら無量寿仏を念じ、多少善を修し、斎戒を奉持し、塔像を起立し、沙門に飯食せしめ、を懸け灯を燃し、華を散じ香を焼くべし。これをもつて回向してかの国に生れんと願ぜん。その人、終りに臨みて、{乃至}つぶさに真仏のごとく、もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。{乃至}

仏、阿難に告げたまはく、それ下輩は、十方世界の諸天・人民、それ心を至してかの国に生れんと欲ふことあらん。たとひもろもろの功徳をなすことあたはずとも、まさに無上菩提の心を発して一向に意をもつぱらにして乃至十念、無量寿仏を念じて、その国に生れんと願ずべし。もし深法を聞きて歓喜信楽して疑惑を生ぜず、乃至一念、かの仏を念じて、至誠心をもつてその国に生れんと願ぜん。この人、終りに臨みて、夢にかの仏を見たてまつり、また往生を得ん。功徳・智慧、次いで中輩のもののごとくならんとなり」と。{以上略抄}

 『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの菩薩乃至少功徳のもの、その道場樹の無量の光色あつて、高さ四百万里なるを知見することあたはずは、正覚を取らじ」と。[文]

 道場樹の願(第二十八願)成就の文、『経』(大経・上)にのたまはく、「また無量寿仏、その道場樹の高さ四百万里ならん。その本周囲五十由旬ならん。枝葉四に布きて二十万里ならん。一切の衆宝自然に合成せり。月光摩尼持海輪宝の衆宝の王たるをもつてしてこれを荘厳せり。条のあひだに周帀して、宝の瓔珞を垂れたり。百千万色にして種々に異変す。無量の光炎、照耀極まりなし。珍妙の宝網その上に羅覆せり。{乃至}一切みな甚深の法忍を得て不退転に住せん。仏道を成るに至るまで、六根清徹にしてもろもろの悩患なけん」と。{以上略出}

 首楞厳院(源信)の『要集』(下)に、感禅師(懐感)の釈(群疑論)を引きていはく、「問ふ、『菩薩処胎経』の第二に説きたまへり。西方、この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界ありと。{乃至}意を発す衆生、阿弥陀仏国に生れんと欲ふもの、深く懈慢国土に着して、すすみて阿弥陀仏国に生るることあたはず。億千万の衆、時に一人あつて、よく阿弥陀仏国に生ずといへり。この経をもつて准難するに、生を得べしや。答ふ、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈せり。またみづから助成していはく、この経の下の文にのたまはく、なにをもつてのゆゑに、みな懈慢して執心牢固ならざるによつてなり。

ここに知りぬ、雑修のものは執心牢からざるの人とす。かるがゆゑに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずしてもつぱらこの業を行ずるは、これすなはち執心牢固にしてさだめて極楽国に生ず。{乃至}また報の浄土の生はきはめて少なし。 化の浄土のなかに生ずるものは少なからず。かるがゆゑに経の別説まことに相違せざるなり」と。{以上略出}

【11】 これらの文のこころにて、双樹林下往生と申すことをよくよくこころえたまふべし。

【12】 弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願(第二十願)によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。しかりといへども定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず。如来の尊号をおのれが善根として、みづから浄土に回向して果遂のちかひをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称不可説不可思議の大悲の誓願を疑ふ。その罪ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあひだ自在なることあたはず、三宝をみたてまつらず、つかへたてまつることなしと、如来は説きたまへり。しかれども如来の尊号を称念するゆゑに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆゑに難思往生と申すなり。不可思議の誓願、疑惑する罪によりて難思議往生とは申さずと知るべきなり。

【13】 植諸徳本の願文、『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得んに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係けて、もろもろの徳本を植ゑて、心を至し回向してわが国に生れんと欲はん。果遂せずは、正覚を取らじ」と。[文]

 同本異訳の『無量寿如来会』(上)にのたまはく、「もしわれ成仏せんに、無量国のうちの所有の衆生、わが名を説かんを聞きて、おのれが善根をもつて極楽に回向せん。もし生れずは、菩提を取らじ」と。[文] 願(第二十願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ、胎生のものの処するところの宮殿、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること、忉利天上のごとし。またみな自然なり。そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、〈世尊、なんの因なんの縁にか、かの国の人民、胎生・化生なる〉と。仏、慈氏に告げたまはく、〈もし衆生あつて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修し、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して、その国に生れんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳ならん。つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず、このゆゑにかの国土、これを胎生といふ。{乃至}弥勒まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑに。その胎生のものはみな智慧なし〉。{乃至}

仏、弥勒に告げたまはく、〈たとへば転輪聖王に七宝の牢獄あり、種種に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの繒幡を懸けたらん、もしもろもろの小王子、罪を王に得たらん、すなはちかの獄のうちに内れて、繋ぐに金の鎖をもつてせんがごとし〉。{乃至}仏、弥勒に告げたまはく、〈このもろもろの衆生、またまたかくのごとし、仏智を疑惑するをもつてのゆゑにかの胎宮に生ず。{乃至}もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責してかの処を離れんと求めよ。{乃至}弥勒、まさに知るべし、それ菩薩あつて疑惑を生ずるは大利を失ふとす〉」と。{略抄}

 また、『無量寿如来会』(下)にのたまはく、「仏、弥勒に告げたまはく、〈もし衆生あつて、疑悔に随うて善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智威徳智広大智を希求せんに、みづからの善根において、信を生ずることあたはず。この因縁をもつて五百歳において宮殿のうちに住すと。{乃至}阿逸多(弥勒)、なんぢ殊勝智のものを観そなはすに、かの広慧の力によるがゆゑに、かの化生を受く。蓮華のなかにおいて結跏趺坐す。なんぢ下劣の輩を観そなはすに、{乃至}もろもろの功徳を修習することあたはざるがゆゑに。因なくして無量寿仏に奉事せん、このもろもろの人等、みなむかし疑悔せんによつて致すところとするなり〉と。{乃至} 仏、弥勒に告げたまはく、〈かくのごとし、かくのごとし。もし疑悔に随うてもろもろの善根を種ゑて、仏智乃至広大智を希求することあらん。みづからの善根において信を生ずることあたはず、仏の名を聞きて信心を起すによるがゆゑに、かの国に生るといへども、蓮華のうちにおいて出現することを得ず、かれらの衆生、華胎のうちに処すること園苑宮殿の想のごとし〉」。{乃至略出}

 光明寺(善導)の釈(定善義)にいはく、「華に含んでいまだ出でず。あるいは辺界に生じ、あるいは宮胎に堕す」と。{以上}

 憬興師(述文賛・下)のいはく、「仏智を疑ふによつて、かの国に生るといへども、辺地にあつて聖化の事を被らず。もし胎生せばよろしくこれを重く捨つべし」と。{以上}

【14】 これらの真文にて、難思往生と申すことを、よくよくこころえさせたまふべし。


  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

   [康元二年三月二日これを書写す。]                         [愚禿親鸞八十五歳]