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「天親」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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てんじん
 
てんじん
  
 (5世紀頃)梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)の<kana>旧訳(くやく)</kana>。新訳では<kana>世親(せしん)</kana>と漢訳する。北インドのガンダーラに生れ、はじめ部派仏教の<kana>説一切有部(せついっさいうぶ)</kana>・<kana>経量部(きょうりょうぶ)</kana>に学び、『[[倶舎論]](くしゃろん)』を著した。その後、兄<kana>無着(むじゃく)</kana>の勧めで大乗仏教に帰し、<kana>瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)</kana>の根底を築いた。『唯識二十論』『唯識三十頌』『<kana>十地経論(じゅうじきょうろん)</kana>』『浄土論』等多くの著書があり、千部の<kana>論師(ろんじ)</kana>といわれている。[[七高僧]]の第二祖。
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 (5世紀頃)梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)の<kana>旧訳(くやく)</kana>。新訳では<kana>世親(せしん)</kana>と漢訳する。北インドのガンダーラに生れ、はじめ部派仏教の<kana>説一切有部(せついっさいうぶ)</kana>・<kana>経量部(きょうりょうぶ)</kana>に学び、『<kana>[[倶舎論]](くしゃろん)</kana>』を著した。その後、兄<kana>無着(むじゃく)</kana>の勧めで大乗仏教に帰し、<kana>瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)</kana>の根底を築いた。『唯識二十論』『唯識三十頌』『<kana>十地経論(じゅうじきょうろん)</kana>』『浄土論』等多くの著書があり、千部の<kana>論師(ろんじ)</kana>といわれている。[[七高僧]]の第二祖。
  
 
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2017年10月23日 (月) 15:03時点における版

てんじん

 (5世紀頃)梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)の旧訳(くやく)。新訳では世親(せしん)と漢訳する。北インドのガンダーラに生れ、はじめ部派仏教の説一切有部(せついっさいうぶ)経量部(きょうりょうぶ)に学び、『倶舎論(くしゃろん)』を著した。その後、兄無着(むじゃく)の勧めで大乗仏教に帰し、瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)の根底を築いた。『唯識二十論』『唯識三十頌』『十地経論(じゅうじきょうろん)』『浄土論』等多くの著書があり、千部の論師(ろんじ)といわれている。七高僧の第二祖。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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ウィキダルマ(WikiDharma):天親世親(せしん)