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「末法灯明記」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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(まっぽうとうみょうき)
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まっぽうとうみょうき
  
  一巻。最澄さ(いちょう)撰と伝えるが、現在では後人の作とする説も多い。仏法と王法が相依すべきことを説き、また末法においてはただ無戒名字の比丘(びく)のみであるが、この比丘を正法(しょうぼう)時の制文で律すべきでなく、世の真宝福田として尊ばれるべきことを説く。
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 一巻。<kana>[[最澄]](さいちょう)</kana>撰と伝えるが、現在では後人の作とする説も多い。仏法と王法が相依すべきことを説き、また末法においてはただ無戒名字の<kana>[[比丘]](びく)</kana>のみであるが、この比丘を<kana>正法(しょうぼう)</kana>時の制文で律すべきでなく、世の真宝福田として尊ばれるべきことを説く。
  
 
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→[[ノート:末法灯明記]]
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御開山は「化巻」でほぼ全文を引文されている。([[化巻本#P--418|化巻 P.418]])

2017年11月27日 (月) 16:45時点における版

まっぽうとうみょうき

 一巻。最澄(さいちょう)撰と伝えるが、現在では後人の作とする説も多い。仏法と王法が相依すべきことを説き、また末法においてはただ無戒名字の比丘(びく)のみであるが、この比丘を正法(しょうぼう)時の制文で律すべきでなく、世の真宝福田として尊ばれるべきことを説く。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ノート:末法灯明記

御開山は「化巻」でほぼ全文を引文されている。(化巻 P.418)