「を称念し」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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広本:「願生安楽国」といふは、世親菩薩、かの無碍光仏を'''称念'''し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。 ([[尊号真像銘文#P--652|尊号 P.652]]) | 広本:「願生安楽国」といふは、世親菩薩、かの無碍光仏を'''称念'''し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。 ([[尊号真像銘文#P--652|尊号 P.652]]) | ||
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2018年1月14日 (日) 03:07時点における版
広本:「願生安楽国」といふは、世親菩薩、かの無碍光仏を称念し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。 (尊号 P.652)
略本:「願生安楽国」といふは、世親菩薩、かの無碍光仏の願行を信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。
梯實圓和上は、
- 宗祖は「願行」という言葉で表わされる「願行具足論」は、『尊号真像銘文』の略本で一回だけ使われたが、後に「称念」に訂正されている。いわゆる善導大師の六字釈の「願行具足論」は依用されておられない。
- 根源的には、如来の智慧と慈悲で仏道の正因を語られる。つまり、信心正因ということは、菩提心正因ということであって大乗仏教の綱格を外れたものではないということを言いたいのであろう。(梯和上の受け売り)
といわれていた。『御消息』では「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(消息 P.737)とされておられる。