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「往生の善知識」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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蓮如さんは、日本仏教において希代の宗教オルガナイザーであった。四十三歳(1547)で八代目として継職した本願寺は、ほとんどさびれ果てて参詣の人もまばらであった。五十三歳(1465)の時には延暦寺の衆徒によって本願寺は破却される。この当時は御開山が尊崇された「無碍光如来」の義を説くので造悪無碍を説く無碍光宗であると延暦寺側に誤解されたのであろう。この延暦寺の迫害を逃れ、五十六歳で越前吉崎に坊舎を建立(1471)されてからのご教化によって本願寺は日本有数の教団となったのである。そのような意では蓮如さんはカリスマ性をもっておられたのであろうが、それを最も批判しておられたのが蓮如さんであった。以下の帖外のお文では、我を善知識として拝むなら、墓場の卒塔婆を拝む方が利益があると、門徒をさとしておられるのであった。
 
蓮如さんは、日本仏教において希代の宗教オルガナイザーであった。四十三歳(1547)で八代目として継職した本願寺は、ほとんどさびれ果てて参詣の人もまばらであった。五十三歳(1465)の時には延暦寺の衆徒によって本願寺は破却される。この当時は御開山が尊崇された「無碍光如来」の義を説くので造悪無碍を説く無碍光宗であると延暦寺側に誤解されたのであろう。この延暦寺の迫害を逃れ、五十六歳で越前吉崎に坊舎を建立(1471)されてからのご教化によって本願寺は日本有数の教団となったのである。そのような意では蓮如さんはカリスマ性をもっておられたのであろうが、それを最も批判しておられたのが蓮如さんであった。以下の帖外のお文では、我を善知識として拝むなら、墓場の卒塔婆を拝む方が利益があると、門徒をさとしておられるのであった。

2018年4月2日 (月) 17:33時点における版

善知識帰命の過ち

蓮如さんは、日本仏教において希代の宗教オルガナイザーであった。四十三歳(1547)で八代目として継職した本願寺は、ほとんどさびれ果てて参詣の人もまばらであった。五十三歳(1465)の時には延暦寺の衆徒によって本願寺は破却される。この当時は御開山が尊崇された「無碍光如来」の義を説くので造悪無碍を説く無碍光宗であると延暦寺側に誤解されたのであろう。この延暦寺の迫害を逃れ、五十六歳で越前吉崎に坊舎を建立(1471)されてからのご教化によって本願寺は日本有数の教団となったのである。そのような意では蓮如さんはカリスマ性をもっておられたのであろうが、それを最も批判しておられたのが蓮如さんであった。以下の帖外のお文では、我を善知識として拝むなら、墓場の卒塔婆を拝む方が利益があると、門徒をさとしておられるのであった。


去年霜月のころよりこのかた、當國・加州・能登・越中のあひだより、男女老少幾千萬となく當山へ羣集せしむる條、しかるべからざるよしの成敗をなすとへども、さらにもて多屋坊主以下その承引なし。さだめて他宗・他家のかたにも、偏執の義もかつはこれあるべしとおもふなり。 そのいはれいかんといふに、在家止住のつみふかき身が、彌陀の本願を信じ後生一大事とおもひ、信心決定してまことに極樂往生治定とこゝろえたらん身は、そのありがたさのあまり報謝のために足手をはこび、また當山に安置するところの本尊ならびに開山の御影へもまいり、またわれらなんどにも對面をとげんは、まことに道理なるべし。しかるになにの分別もなく、たゞひとまねばかりにきたらんともがらは、當山の經廻しかるべからざるよしをまうすなり。

そもそも予がまえへゝきたりて、見参対面をとげたりといふとも、さればわれらがちからにて後生をたすくべきむねなし。信心をとりて弥陀如来をたのみたてまつらんひとならでは、後生はたすかるべからず。
わがまへゝきたらんずるよりは、山野の墓原へゆきて五輪卒塔婆をおがみたらんずるは、まことにもてその利益もあるべし。すでに経文にいわく、一見卒塔婆永離三悪道[1]といへり。この卒塔婆をひとたびおがみたらんひとは、ながく三悪道の苦患をば一定のがるべしと、あきらかに経にみえたり。
かえすがえす当山へなにのこゝろえもなきひときたりて、予に対面して手をあはせおがめること、もてのほかなげきおもふところなり。
さらにもてたふときすがたもなし、たゞ朝夕はいたづらにねふせるばかりにて、不法懈怠にして不浄きはまりなく、しわらくさき身にてありけるをおがみぬること、真実真実かたはらいたき風情なり。あさまし、あさまし。 これらの次第を分別して、向後は信心もなきものは、あひかまへてあひかまへて卒塔婆をおがむべし。これすなわち仏道をならんたねになるべし。よくよくここゝろうくべきものなり。
{─後略─}

  文明六年{申午}正月廿日

(浄土真宗全書五p.299より抜粋)


  1. 「卒塔婆を一見すれば永く三悪道を離れる」「卒塔婆偈」といわれるが経文には未見。

善知識