「御消息第九通」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2018年11月9日 (金) 10:27時点における最新版
〈第九通は、慈信房義絶状ともいわれ、義絶事件後四十九年を経た嘉元三年(1305)に顕智(けんち)上人が書写されたもので、古来、いずれの消息集にも収められず、また他の書写も伝わっていない。〉(消息 P.754)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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