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「御消息第九通」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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   〈第九通は、慈信房義絶状ともいわれ、義絶事件後四十九年を経た嘉元三年(1305)に+顕智(けんち)上人が書写されたもので、古来、いずれの消息集にも収められず、また他の書写も伝わっていない。〉([[消息上#P--754|消息 P.754]])
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   〈第九通は、慈信房義絶状ともいわれ、義絶事件後四十九年を経た嘉元三年(1305)に[[顕智]](けんち)上人が書写されたもので、古来、いずれの消息集にも収められず、また他の書写も伝わっていない。〉([[消息上#P--754|消息 P.754]])
  
 
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2018年11月9日 (金) 10:27時点における最新版

  〈第九通は、慈信房義絶状ともいわれ、義絶事件後四十九年を経た嘉元三年(1305)に顕智(けんち)上人が書写されたもので、古来、いずれの消息集にも収められず、また他の書写も伝わっていない。〉(消息 P.754)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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