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+ | とあり、西山義や幸西大徳の一念義にも通じていたと思われる。 | ||
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2019年11月4日 (月) 22:02時点における版
覚如
(1270-1351)
はじめ
その後、父覚恵とともに東国の親鸞聖人の遺蹟を巡拝し、帰洛して『報恩講私記』『御伝鈔』を著された。正安三年(1301)『
しかし長子
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『最須敬重絵詞』第十九段に、
- 一流の奥区を伝て自身の出要をあきらめ給うへは、広学多聞もさのみはなにゝかはせんなれども、諸家の所談もゆかしく、練磨は学者のあかぬ事なればとて、便宜の聞法をばなをすてられず、佗門の先達にも少々謁し給けり。これによりて安養寺の阿日房上人彰空に遇て、西山の法門をば聴受し給。五部の講敷にもたびたびあひ、そのほか『大経』・『註論』・『念佛鏡』などの談もありけり。又慈光寺の勝縁上人に対して、一念の流をも習学ありけり。これも『凡頓一乗』・『略観経義』・『略料簡』・『措心偈』・『持玄鈔』などいふ幸西上人の製作ゆるされによりてかきとり給けり。
とあり、西山義や幸西大徳の一念義にも通じていたと思われる。