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「本願招喚の勅命」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。 →([[hwiki:和語灯録#P--580|『和語灯録』-「往生大要鈔」『聖全』四p.580]])
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ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、'''口に南無阿弥陀仏ととなへば'''、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。 →([[hwiki:和語灯録#P--580|『和語灯録』-「往生大要鈔」『聖全』四p.580]])
  
  
心の善悪をもかへり見づ、つみの軽重をも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと、决定の心ををこすべき也。その決定の心によりて、往生の業はさだまる也。
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心の善悪をもかへり見づ、つみの軽重をも沙汰せず、'''ただ口に南無阿弥陀仏と申せば'''、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと、决定の心ををこすべき也。その決定の心によりて、往生の業はさだまる也。
 
往生は不定におもへば不定也。一定とおもへば一定する事也。 →([[hwiki:和語灯録#P--614|『和語灯録』-「浄土宗略抄」『聖全』四p.614]])
 
往生は不定におもへば不定也。一定とおもへば一定する事也。 →([[hwiki:和語灯録#P--614|『和語灯録』-「浄土宗略抄」『聖全』四p.614]])
  
  
わか心のわろけれは往生はかなはじなとこそは、申あひて候めれ。そのうたかひの、やがて往生せぬ心にて候けるものを、たた心のよきわろきをも返りみず、罪のかろきをもきをも沙汰せず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへて、声につきて決定往生のおもひをなすへし。その決定の心によりて、即往生の業はさだまる也。かく心うればうたがひなし。往生は不定とおもへは、やかて不定也、一定とおもへは、一定する事にて候也。 →([[hwiki:拾遺語灯録下#P--754|『拾遺語灯録』下-「御消息」『聖全』四p.754]])
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わか心のわろけれは往生はかなはじなとこそは、申あひて候めれ。そのうたかひの、やがて往生せぬ心にて候けるものを、たた心のよきわろきをも返りみず、罪のかろきをもきをも沙汰せず、心に往生せんとおもひて、'''口に南無阿弥陀仏ととなへて'''、声につきて決定往生のおもひをなすへし。その決定の心によりて、即往生の業はさだまる也。かく心うればうたがひなし。往生は不定とおもへは、やかて不定也、一定とおもへは、一定する事にて候也。 →([[hwiki:拾遺語灯録下#P--754|『拾遺語灯録』下-「御消息」『聖全』四p.754]])
  
  
しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみす、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心を、すなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。詮ずるところは、ただとにもかくにも、念仏して往生すといふ事をうたがはぬを、深心とはなつけて候なり。 →([[hwiki:西方指南抄/下本#P--191|『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」『聖全』四 p191]])
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しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみす、罪障のかろきおもきおもさたせず、'''ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば'''、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心を、すなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。詮ずるところは、ただとにもかくにも、念仏して往生すといふ事をうたがはぬを、深心とはなつけて候なり。 →([[hwiki:西方指南抄/下本#P--191|『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」『聖全』四 p191]])

2019年11月6日 (水) 10:42時点における版

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。 →(『和語灯録』-「往生大要鈔」『聖全』四p.580)


心の善悪をもかへり見づ、つみの軽重をも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと、决定の心ををこすべき也。その決定の心によりて、往生の業はさだまる也。 往生は不定におもへば不定也。一定とおもへば一定する事也。 →(『和語灯録』-「浄土宗略抄」『聖全』四p.614)


わか心のわろけれは往生はかなはじなとこそは、申あひて候めれ。そのうたかひの、やがて往生せぬ心にて候けるものを、たた心のよきわろきをも返りみず、罪のかろきをもきをも沙汰せず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへて、声につきて決定往生のおもひをなすへし。その決定の心によりて、即往生の業はさだまる也。かく心うればうたがひなし。往生は不定とおもへは、やかて不定也、一定とおもへは、一定する事にて候也。 →(『拾遺語灯録』下-「御消息」『聖全』四p.754)


しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみす、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心を、すなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。詮ずるところは、ただとにもかくにも、念仏して往生すといふ事をうたがはぬを、深心とはなつけて候なり。 →(『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」『聖全』四 p191)