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「無行不成の願海」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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:三心既具 無行不成。願行既成 若不生者無有是処也 又此三心亦通摂 定善之義 応知。
 
:三心既具 無行不成。願行既成 若不生者無有是処也 又此三心亦通摂 定善之義 応知。
::三心すでに具すれば、行として成ぜざるはなし。 願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなからん。 またこの三心はまた通じて定善の義を摂す、知るべし。
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::三心すでに具すれば、行として成ぜざるはなし。 願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなからん。 またこの三心はまた通じて定善の義を摂す、知るべし。([[観経疏 散善義 (七祖)#三心決釈|散善義 P.470]], [[信巻本#P--227|信巻 P.227]])
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2020年2月10日 (月) 16:50時点における版

むぎょうふじょうのがんかい

 「無行不成(行として成ぜざるなし)」は「散善義」に出る言葉。本願の名号(みょうごう)には万行がまどかにそなわっているので、行として成ぜざることなく、いかなる悪人も往生を得ることができるという意。この広大な本願の救いを海に喩えて願海という。(講私記 P.1069

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「散善義」三心決釈の文。

三心既具 無行不成。願行既成 若不生者無有是処也 又此三心亦通摂 定善之義 応知。
三心すでに具すれば、行として成ぜざるはなし。 願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなからん。 またこの三心はまた通じて定善の義を摂す、知るべし。(散善義 P.470, 信巻 P.227)