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「たのむ一念…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 現代語では、たのむは「依頼する」の意で用いられるが、古語では「まかせる」「たよる」の意が主である。 椅子に座ったときは椅子をたのむと身をまかせるようなものであり仏・菩薩へ祈願請求の意ではない。漢字で表記する場合は「憑たのむ」と書く。<br />
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 現代語では、たのむは「依頼する」の意で用いられるが、古語では「まかせる」「たよる」の意が主である。 椅子に座ったときは椅子をたのむと身をまかせるようなものであり仏・菩薩へ[[祈願請求]]の意ではない。漢字で表記する場合は「憑)たのむ)」と書く。<br />
 
一念とは[[信の一念]]を指し、信心を獲得したそのはじめ、つまり阿弥陀仏の本願のいわれを聞きひらいた最初の時をいう。
 
一念とは[[信の一念]]を指し、信心を獲得したそのはじめ、つまり阿弥陀仏の本願のいわれを聞きひらいた最初の時をいう。
  

2023年5月15日 (月) 21:00時点における版

いちねん

 この一段は報謝を顕す。(領解文 P.1227)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

 現代語では、たのむは「依頼する」の意で用いられるが、古語では「まかせる」「たよる」の意が主である。 椅子に座ったときは椅子をたのむと身をまかせるようなものであり仏・菩薩へ祈願請求の意ではない。漢字で表記する場合は「憑)たのむ)」と書く。
一念とは信の一念を指し、信心を獲得したそのはじめ、つまり阿弥陀仏の本願のいわれを聞きひらいた最初の時をいう。

たのむ
一念