「引文」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
4行目: | 4行目: | ||
ところが御開山は単なる文章の引用(自分の論のよりどころなどを補足)ではなく、経・論・釈の文章を用いることで、自らの独自の宗教世界を構築されておられるのであった。これを「引文」といい、この文章の「引文」には{抄要}{乃至}{抄出}{抄要}{略抄}{以上}などとされたり、「引文」の漢文の訓点の付け替えなどによって新しい世界を引文によって創作されておられるのであった。ゆえに『教行証文類』では経・論・釈は引用ではなく[[引文]]といふ。 | ところが御開山は単なる文章の引用(自分の論のよりどころなどを補足)ではなく、経・論・釈の文章を用いることで、自らの独自の宗教世界を構築されておられるのであった。これを「引文」といい、この文章の「引文」には{抄要}{乃至}{抄出}{抄要}{略抄}{以上}などとされたり、「引文」の漢文の訓点の付け替えなどによって新しい世界を引文によって創作されておられるのであった。ゆえに『教行証文類』では経・論・釈は引用ではなく[[引文]]といふ。 | ||
− | + | 梯實圓和上は、『教行証文類のこころ』といふ講義で、 | |
− | ですからね、ただ書いてあることを書いてあるようにざっと読んだって駄目。あの書いてないところを読んでいかんにゃならんのですね。そういうのが『教行証文類』でございますので、まぁ恐ろしく難しいんです。 | + | : ですからね、ただ書いてあることを書いてあるようにざっと読んだって駄目。あの書いてないところを読んでいかんにゃならんのですね。そういうのが『教行証文類』でございますので、まぁ恐ろしく難しいんです。 |
と引文だけでなく引文先の全体の文言を参照すべきと仰っておられた。 | と引文だけでなく引文先の全体の文言を参照すべきと仰っておられた。 | ||
+ | :→[[文類]] | ||
[[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p> | [[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2023年11月27日 (月) 14:05時点における版
いんもん
『教行証文類』は、全体の7割は経・論・釈からの「引文」で成り立っている。通常は自分の主張のよりどころを補強するために他の著書から文を引くことを「引用」といふ。 ところが御開山は単なる文章の引用(自分の論のよりどころなどを補足)ではなく、経・論・釈の文章を用いることで、自らの独自の宗教世界を構築されておられるのであった。これを「引文」といい、この文章の「引文」には{抄要}{乃至}{抄出}{抄要}{略抄}{以上}などとされたり、「引文」の漢文の訓点の付け替えなどによって新しい世界を引文によって創作されておられるのであった。ゆえに『教行証文類』では経・論・釈は引用ではなく引文といふ。
梯實圓和上は、『教行証文類のこころ』といふ講義で、
- ですからね、ただ書いてあることを書いてあるようにざっと読んだって駄目。あの書いてないところを読んでいかんにゃならんのですね。そういうのが『教行証文類』でございますので、まぁ恐ろしく難しいんです。
と引文だけでなく引文先の全体の文言を参照すべきと仰っておられた。