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「おかげさま」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「 他から受けた力添え・恩恵の意。浄土真宗では生死流転を往生と定めて下さった阿弥陀仏への恩の意味で「お陰様」と呼称...」)
 
 
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 他から受けた力添え・恩恵の意。浄土真宗では生死流転を往生と定めて下さった阿弥陀仏への恩の意味で「お陰様」と呼称する。<br />
 
 他から受けた力添え・恩恵の意。浄土真宗では生死流転を往生と定めて下さった阿弥陀仏への恩の意味で「お陰様」と呼称する。<br />
 
「お陰様」の語が一般に流通したのは、浄土真宗の門徒であった近江商人が商(あきな)いのときに顧客に感謝の意で「おかげさまで」と言ったことだといわれる。<br />
 
「お陰様」の語が一般に流通したのは、浄土真宗の門徒であった近江商人が商(あきな)いのときに顧客に感謝の意で「おかげさまで」と言ったことだといわれる。<br />
二十年ほど前だが、能登の地震で崩壊した家屋のばあちゃんを取材したTVのレポーターが、「大変でしたねぇ」といふ言葉に、ばあちゃんは、「はい、おかげさまで」と答えていた。自分の家が潰れたことよりも、家が潰れたことを縁として周囲の人が手助けしてくれた恩を「おかげさまで」と表現したのであろう。<br />
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 二十年ほど前だが、能登の地震で崩壊した家屋のばあちゃんを取材したTVのレポーターが、「大変でしたねぇ」といふ言葉に、ばあちゃんは、「はい、おかげさまで」と答えていた。自分の家が潰れたことよりも、家が潰れたことを縁として周囲の人が手助けしてくれた恩を「おかげさまで」と表現したのであろう。<br />
 
現代ではお蔭様といふ「恩」の思想は非常に判りにくくなっている。それは先の大東亜戦争の敗戦によって恩といふ思想が弊履のごと捨て去られたからであろう。戦(いくさ)に負けることは文化の敗北でもあり、そのためには二度と戦を起こしてはならないのであろう。
 
現代ではお蔭様といふ「恩」の思想は非常に判りにくくなっている。それは先の大東亜戦争の敗戦によって恩といふ思想が弊履のごと捨て去られたからであろう。戦(いくさ)に負けることは文化の敗北でもあり、そのためには二度と戦を起こしてはならないのであろう。
  

2024年2月3日 (土) 16:10時点における最新版

 他から受けた力添え・恩恵の意。浄土真宗では生死流転を往生と定めて下さった阿弥陀仏への恩の意味で「お陰様」と呼称する。
「お陰様」の語が一般に流通したのは、浄土真宗の門徒であった近江商人が商(あきな)いのときに顧客に感謝の意で「おかげさまで」と言ったことだといわれる。
 二十年ほど前だが、能登の地震で崩壊した家屋のばあちゃんを取材したTVのレポーターが、「大変でしたねぇ」といふ言葉に、ばあちゃんは、「はい、おかげさまで」と答えていた。自分の家が潰れたことよりも、家が潰れたことを縁として周囲の人が手助けしてくれた恩を「おかげさまで」と表現したのであろう。
現代ではお蔭様といふ「恩」の思想は非常に判りにくくなっている。それは先の大東亜戦争の敗戦によって恩といふ思想が弊履のごと捨て去られたからであろう。戦(いくさ)に負けることは文化の敗北でもあり、そのためには二度と戦を起こしてはならないのであろう。