「西山」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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+ | 証空と違い、御開山は「開廃会」の論理は用いない。御開山は、方便の行信と真実の行信の行体を明確に分判されるからである。それは「[[誓願一仏乗]]」こそが真の仏法であると見られたからであろう。 | ||
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2024年6月27日 (木) 01:28時点における版
せいざん
西山流のこと。 法然上人門下の
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
西山派の派祖 証空上人は天台智顗の「開廃会」によって浄土教を説かれた。
「開廃会」とは、方便をうちあけること(開)と、方便をやめること(廃)、方便が真実と一体になること(会)のことで、自力心を捨て去れば、方便の諸行もそのまま念仏行になると説く。
証空と違い、御開山は「開廃会」の論理は用いない。御開山は、方便の行信と真実の行信の行体を明確に分判されるからである。それは「誓願一仏乗」こそが真の仏法であると見られたからであろう。