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「知識帰命」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 衆生を救う[[阿弥陀仏]]とそれを教える[[善知識]]とを同一視し、特定の[[善知識]]への[[帰依]]を要求する理解。真宗における[[異安心]]の一つ。'''善知識だのみ'''ともいう。『<kana>改邪鈔(がいじゃしょう)</kana>』第18条([[改邪鈔#P--940|註 940]])や『御文章』2帖目第11通([[御文章 (二帖)#P--1126|註 1126]])などに批判がある。(浄土真宗辞典)
 
 衆生を救う[[阿弥陀仏]]とそれを教える[[善知識]]とを同一視し、特定の[[善知識]]への[[帰依]]を要求する理解。真宗における[[異安心]]の一つ。'''善知識だのみ'''ともいう。『<kana>改邪鈔(がいじゃしょう)</kana>』第18条([[改邪鈔#P--940|註 940]])や『御文章』2帖目第11通([[御文章 (二帖)#P--1126|註 1126]])などに批判がある。(浄土真宗辞典)
 
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2024年9月26日 (木) 22:15時点における版

ちしききみょう

ちしききみょう 知識帰命

 衆生を救う阿弥陀仏とそれを教える善知識とを同一視し、特定の善知識への帰依を要求する理解。真宗における異安心の一つ。善知識だのみともいう。『改邪鈔(がいじゃしょう)』第18条(註 940)や『御文章』2帖目第11通(註 1126)などに批判がある。(浄土真宗辞典)

人惑を受けず