智栄讃善導別徳云…
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
智栄善導の別徳を讃(ほ)めたもうていわく、善導は阿弥陀仏の化身なり。仏の六字を称せば即ち仏を嘆ずるなり、即ち懺悔するなり、即ち発願回向なり、一切善根浄土を荘厳するなり。
ちょうぜんどうのべっとくをほめたもうていわく
本文に付してある訓点にしたがって、その書き下しを振り仮名の体裁で示した。(尊号 P.655)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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御開山は〔なんまんだぶ〕を称える意を、
- 智栄讃善導別徳云「善導阿弥陀仏化身 称仏六字 即嘆仏即懺悔 即発願回向 一切善根荘厳浄土」
- 智栄 善導の別徳を讃(ほ)めたもうていわく、善導は阿弥陀仏の化身なり。仏の六字を称せば即ち仏を嘆ずるなり、即ち懺悔するなり、即ち発願回向なり、一切善根浄土を荘厳するなり。
とされ〔なんまんだぶ〕を称えることを即嘆仏即懺悔とされ、
- 「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは仏をほめたてまつるになるとなり。
と、「をとなふるとなり」とか「になるとなり」という珍しい表現をされておられた。〔なんまんだぶ〕と称えれることは、直ちに嘆仏、懺悔ではなく「~になるとなり」と、〔なんまんだぶ〕を称えることの意になるというのであった。