一念多念証文
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(『一念多念文意講讃』梯實圓和上著より引用)
目次
第三講 本願成就文の文意
『無量寿経』のなかに、あるいは「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」と説きたまへり。「諸有衆生」といふは、十方のよろづの衆生と申すこころなり。 「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。
「歓喜」といふは、「歓」は身をよろこばしむるなり、「喜」はこころによろこばしむるなり、うべきことをえてんずと、かねてさきよりよろこぶこころなり。「乃至」は、おほきをもすくなきをも、ひさしきをもちかきをも、さきをものちをも、みなかねをさむることばなり。
「一念」といふは、信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり。「至心回向」といふは、「至心」は真実といふことばなり、真実は阿弥陀如来の御こころなり。「回向」は、本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。「願生彼国」といふは、「願生」は、よろづの衆生、本願の報土へ生れんとねがへとなり。「彼国」はかのくにといふ、安楽国ををしへたまへるなり。「即得往生」といふは、「即」はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。
また「即」はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。「得」はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなはち無碍光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。摂はをさめたまふ、取はむかへとると申すなり。をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを「往生を得」とはのたまへるなり。
講讃
「無量寿経』(『大経』)のなかには「諸有の衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜すること、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。彼の国に生れんと願ぜば、即ち往生を得て、不退転に住せん」と説かれている。
「諸有の衆生」というのは、十方世界に生きているあらゆる生き物ということである。「其の名号を聞く」というのは、本願の名号をきくと仰せられているのである。「きく」というのは、本願のいわれを聞いて、疑いがなくなっている状態を「聞」というのである。また「きく」ということは、本願の信心の特色をあらわすみことばである。
「信心歓喜すること、乃至一念せん」といわれた、「信心」とは、如来の本願をきいて、疑う心のないことをいうのである。「歓喜」というのは、「歓」は、身をよろこばせることで、身体に「よろこび」のあふれでているような状態をいう。「喜」は、こころをよろこばせることで、こころによろこびが充ちていることをいうのである。得なければならないことがら、すなわち浄土に生れ、生死を解脱するという利益を、得させていただけるにちがいないと、あらかじめさきだってよろこぶこころをいうのである。
「乃至」というのは、ある事柄について多いも少ないも、長期間も短期間も、前も後も、すべてをかねおさめる場合に用いる言葉である。「一念」というのは、時間の極まりを表す言葉であって、今は信心を得る時の極まりを顕す言葉である。
「至心回向」の「至心」とは、真実という意味の言葉である。真実とは、いつわりのない阿弥陀仏のみ心のことである。「回向」とは、如来がその真実の徳のすべてを、南無阿弥陀仏という本願の名号にこめて、十方世界の生きとし生けるすべてのものに与えたまうことをあらわすみ言葉である。
「願生彼国」の「願生」とは、「阿弥陀仏が本願をもって成就された真実の報土に生れようと願え」と釈尊がすべての者に勧められている言葉である。「彼国」とは「かのくに」ということで、阿弥陀仏のいます「安楽国」を指示し教えられているのである。
「即得往生」の「即」とは、「すなわち」ということである。「すなわち」とは、時間的な経過もなく、幾日かの日をへだてることもないということである。すなわち「即時」に事柄が成就するということである。
また「即」とは「即位」ということばがあるように「つく」ということで、その位に定まりつくという意味を表す言葉である。 「得」とは、得なければならないことを得たことである。本願の名号を聞き、まことの信心を得るならば、即座に無碍光如来の大智大悲の御心の内におさめとりたまい、決して見捨てたまうことはないのである。その「摂取」の「摂」とは、如来の御心におさめとりたまうことであり、「取」とは、浄土へ迎えとりたまうことをいうのである。如来の御心のうちにおさめとられたとき、時もへだてず、日もへだてず、即時に浄土に往生すべき正定聚のくらいにつき定まることを、経には「即ち往生を得」と仰せられたのである。
講述
一 成就文の一念
「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転」というのは、『大経』の下巻のはじめに第十七願成就文についで説かれた第十八願の成就文である。この文を引かれたのはいうまでもなく信の一念に往生が定まるという信一念入正定聚説の根源となる経説であったからである。この文によって本願の名号を聞信する一念に往生が定まるという一念往生の法義そのものは、決してあやまっていないことが明確になるのである。
はじめに「無量寿経のなかに、あるいは」といわれているのは『一念多念分別事』の文をそのまま引用されたからである。『分別事』には、つづいて「あるいは乃至一念念於彼仏亦得往生とあかし、あるいは其有得聞彼仏名号・・・」と続く文章であったから「あるいは」という言葉が用いられたのである。すなわち『分別事』では『大経』に「乃至一念」という言葉が三箇所(第十八願成就文・三輩段の下輩の文・付属流通の文)に出ているのをすべて挙げて一念往生の文証とされていた。しかも法然聖人がそうであったように三所ともに行の一念(一声の称名)とみなされていたのである。 しかし親鸞聖人は、成就文の一念を信の一念とし、付属の一念を行の一念と領解されたのである。三所の一念は、剋実通論すればいずれも信と行に通ずるが、拠勝為論すれば成就の一念は信に親しく、付属の一念は行に親しいとみられたものである。下輩の一念についてはなんらの釈も施されていないので不明であるが、三輩段を第十九願成就とみなされる所からいえば自力要門位の一念と見られたのであろう。ただし『選択集』「三輩章」のように三輩段を廃立を顕す経説と見て、第十八願のこころを顕すとみるときもあったはずであるから、その場合は弘願の信と行に通じてみられたのであろう。
法然聖人が成就文の一念を行の一念と見られたのは、「一念」を本願の「十念」に対望し、「おほきをもすくなきをもかねをさむることばなり」といわれる「乃至」を従多向少の意味で解釈した場合、数量の多から少へ向かうから「十声」の多に対するものは数の最少である「一声」と見るべきであると領解されたからであろう。それに対して親鸞聖人は、「聞其名号、信心歓喜」に付けて信の一念とされる。すなわち成就文は第十七願に対望しており、諸仏讃嘆の名号を領受する機受の相を顕す場所であるから、信心の一念を顕すのを主としていると見られたのである。この場合「乃至」は「ひさしきをもちかきをも、さきをものちをも、みなかねをさむることばなり」といわれたように、本願を信じて称える信心と称名の中で、先の信心と後の称名を包摂する乃至であるとみれば、乃至一念は後の称名がそこから現れる名号領受の初一念を表すとしなければならない。『浄土文類聚紗』(『註釈版聖典』四八〇頁)に「乃至一念といふは、これさらに観想・功徳・遍数等の一念をいふにはあらず。往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり」といい、本願の名号を獲得した最初の時を顕して乃至一念と説かれたといわれたのはその故である。さらにまた、親鸞聖人は異訳の「無量寿如来会』の成就文(『真聖全』一・二〇三頁、「信文窺」『註釈販聖典』二一二頁所引)に「他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きて、乃至よく一念の浄信を発して歓喜せしめ」と説かれているように、この一念が浄信の一念であるといわれているのに注目し、信一念説を立てられたのであろう。
なお存覚上人は、『浄土真要紗』本(『註釈版聖典』九六七頁)に、「この一念について隠顕の義あり。顕には、十念に対するとき一念といふは称名の一念なり。隠には、真因を決了する安心の一念なり」といい、経の顕文に依れば十念に対する一念であるから行の一念とすべきであるが、名号を聞いて機教の分限を思い定める位をあらわしているから、経の隠意からいえば信の一念とすべきであるといわれている。
二 成就文の読み方
成就文とは、法蔵菩薩の誓願である第十八願が完成して、願いのごとくに救済活動がおこなわれていることを告げる釈尊のみことばである。第十八願には、
- たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽してわが国に生れんと欲ひて、乃至十念せん。もし生れずは正覚を取らじ。ただ五逆と誹誇正法を除く。
と誓われたものがそれである。このように誓願された法蔵菩薩が、永劫にわたる修行によって、願いのままに、十方の衆生をさわりなく救う力を完成されたとき、菩薩は、阿弥陀という仏になられた。釈尊は、この第十八願が、すでにはたしとげられた誓願であることを「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転、唯除五逆誹誇正法」と説きしめされたのである。それを第十八願に対照すると、「諸有衆生」は「十方衆生」と、「聞其名号、信心歓喜」は「信楽」と、「乃至一念」は「乃至十念」と」「至心」は「至心」と、「回向、願生彼国」は「欲生我国」と、「即得往生、住不退転」は「若不生者不取正覚」と、「唯除五逆誹諺正法」はそのまま、対応していることがわかる。したがってこの成就文を、通常の漢文としてみれば「諸有の衆生、其の名号を闘きて、信心歓喜して、乃ち一念に至るまで、心を至し回向して、彼の国に生ぜんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す。唯五逆と誹誇正法とを除く」と読むべきであろう。ところが親鸞聖人は、さきにあげたような独自の読み方をされたのである。とくに「至心回向」を「至心に回向せしめたまへり」とか「至心に回向したまへり」と読んで、私から仏への回向ではなくて、仏から私への回向であると回向の主体を転換されている。それは本願力回向の宗義をここに読みとられたからであった。
「諸有衆生」とは、「あらゆる衆生」と読む場合と、「もろもろの有の衆生」と読む場合とで少し意味がかわる。「あらゆる衆生」という場合は、本願の「十方の衆生」と同じ意味になり、十方世界の凡聖一切の衆生が本願の所被の機であることを示し、摂化の普遍性をあらわす表現になる。いまは「十方のよろつの衆生」といわれているから、「あらゆる衆生」と読まれていたのであろう。「もろもろの有」と読まれた例は『浄土和讃』(『原典版聖典』六九四頁)の「十方諸有の衆生は」の「諸有」の国宝本『浄土和讃』(『原典版聖典』校異篇二一二四頁)の左訓である。そこには「しょうは、二十五うのしゅしゃうといふ。われらしゅしゃうは二十五うにすきてむまるるといふこころなり」といわれているから、「諸の有」と読まれていたことがわかる。「有」とは、二十五有のことで迷いの生存をあらわすことばになる。仏教では迷いの境界をあらわすのに、欲界、色界、無色界という三界を語るが、これをまた三有ともよぶ。この三有をさらにこまかく分類して二十五種にしたものを二十五有という。 すなわち欲界に四悪趣・四洲・六欲天の十四有、色界に四禅天と無想・浄居・大梵天の七有、無色界の四空所天の四有を如えて二十五有となるのである。したがって二十五有という場含は迷界の凡夫のみを指し、大小乗の聖者は省略されていることになる。
こうして「諸有衆生」を「あらゆる衆生」とよむときは、凡夫も聖者も、善人も悪人もあまねく平等に救いたまう五乗斉入、万機普益の義趣をあらわすことになり、「諸の有の衆生」と読むときは、聖者よりも、迷界にあって苦悩している凡夫を本として救いたまう大悲の正所被を示す言葉になるのである。
三 聞と信について
「聞其名号といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり」といわれたのは、聞其名号といわれた諸仏讃嘆の名号は、ただの名ではなくて、本願の名号であって、万人平等の救済をつげる名のりであることを知らそうとされているのである。いいかえれば、名号を聞くとは、本願招喚の勅命を聞くことであるというのである。
「きくといふは、本顧をききて疑ふこころなきを聞といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり」というのは、名号を「聞く」ということについて二つの意義のあることをあらわされている。第一釈に「きくといふは、本顕をききて疑ふこころなきを聞といふなり」とは、信心、すなわち無疑をもって「聞」を釈されたものである。聞くといっても、さまざまな聞き方がある。すなわち所聞の名号のいわれにかなって聞いている聞き方と、名号のいわれにかなわない聞き方とがある。名号の実義にかなって聞いているのを如実の聞といい名号の実義にかなわない聞き方を不如実の聞という。いま第十八願成就文に「聞其名号」といわれた「聞」は、我がはからいを雑えずに所聞の名義を、名義の通りに聞き受けている如実の聞であるということを知らせるために「本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり」といわれたのである。 「本願をききて疑ふこころなきを」また信心ともいうのであるから、信心であるような「聞」であると解釈されたことになる。これを信をもって聞を釈し、不如実の聞に簡んで、如実の聞であることを顕す釈であるというのである。不如実の聞というのは、『大経』(『註釈版聖典』一八頁)の第二十願に「十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん」といわれた「聞」である。同じように阿弥陀仏の名号を聞いていても、自力のはからいを雑えて聞くから本顕他力の救いを告げている名号を聞きながら称念した我が功徳を回向して往生しようと願う自力の行信に陥ってしまうのである。
それにひきかえ第十八願成就文に「其の名号を聞く」といわれた「聞」とは、本願のおおせを、おおせのとおりに、はからいを雑えず、疑いなく聞きひらいていることをいうから「如実の聞」というのである。「信文類」(『同』二五一頁)には、この聞を釈して、
- しかるに『経』に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。
といわれている。「仏願の生起本末」とは、法蔵菩薩が、あらゆる衆生を救おうという大悲の誓願を発し、それを成就して阿弥陀仏となりたまうたという本願の始終のことである。そのことを説き顕されたのが『大経』であるから、「教文類」(『同』一三五頁)には、「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり」といわれたのであった。『正像末和讃』(『同』六〇六頁)にはそのこころを、
- 如来の作頃をたづぬれば
- 苦悩の有情をすてずして
- 回向を首としたまひて
- 大悲心をば成就せり
と讃えられている。煩悩具足の凡夫である私を本願を信行する念仏の衆生に仕上げて救おうという誓願をたて、誓願の通りに救う本願力を成就して阿弥陀仏となられたのであるから、私どもの救われることには疑いを入れる余地がないと聞きひらくことが、「南無阿弥陀仏」を聞くことであり、『大経』を聞くことであったのである。
次に「またきくといふは、信心をあらはす御のりなり」といわれたのは、「聞」の第二釈で、聞を以て信を顕すのである。すなわち名号のいわれをはからいなく聞き受けることを信心というような信心は、自分が思い固めた信心ではなくて、名号のいわれが私の心に印現しているほかにないということが明らかになる。そのような在り方をしているから本願力回向の信心というのである。名号を如実に聞き受けていることを信心といわれたことによって、それが本願力回向の信心であることを顕しているというのである。「勅命のほかに領解なし」といわれる所以である。いいかえれば南無阿弥陀仏という本願招喚の勅命をたまわっていることを、信心をたまわっているというのである。こうしてはからいを雑えずに、本願招喚の勅命を聞いていることを信といい、また信であるような聞が第十八願の如実の聞であるという道理が明らかになる。
四 信心の語義
「信心は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」といわれるように、親鸞聖人は、信心とは本願を疑う心がないことであると定義された。いわゆる無疑心である。法然聖人が『選択集』「三心章」(『註釈版聖典七祖篇』一二四八頁)に信疑決判を行い、「生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす」といわれた釈を承けて、悟りと迷いとを信と疑によって分けるという信疑対を強調し、信の反対概念を疑とされていたからである。 「信文類」の字訓釈(『註釈版聖典』二三〇頁)や法義釈(『同』二三四頁)にもそのことが見られる。 そこには「疑蓋間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく」といい、無疑を信楽すなわち信心の名義とされていた。この疑蓋間雑の「蓋」とは、一般的には煩悩の異名で、真理をおおいかくすという意味を表していた。 しかしここでは本願を疑う心は、ちょうどコップに蓋をしたままで水を注いでいるような状態であるというので蓋という言葉を用いられたと考えられる。いくら本願の法水を注がれても自力の「はからい」という蓋をしていたのでは法が心に届かない。「疑いという蓋を法と機の間に雑えない状態を信心という」と知らせようとされたのであろう。
このように本願招喚の勅命を疑いをまじえずに聞いていることは、如来の仰せに随順していることであるから、信は信順と熟字して随順の意味とされる。「信文類」(『同』二二六頁)に引用された善導大師の「二河白道の譬喩」のなかに「いま二尊の意に信順して」といわれているものがそれである。釈尊の発遣と、弥陀の招喚にはからいなく随順して、南無阿弥陀仏という願力の道を我が道と領解したことを信心というのである。
ところで親鸞聖人は、『尊号真像銘文』(『同』六五一頁)に「帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり」といわれているように、如釆の勅命に随順することを帰命の語義としても用いられていた。 こうして信心と帰命とは、元来別の言葉であったのを、親鸞聖人はどちらも如来のおおせにしたがうという共通の意味をもたせることによって同義語として使われていくのである。
また親鸞聖人は、信心のことを「たのむ」という和語であらわされることがある。『唯信鈔文意』(『同』六九九頁)の初めに「本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを唯信といふ」といわれたものがそれである。信心とはわが身をたのむ自力のはからいをすてて、本願他力をたのみたてまつることであるといわれる。 この「たのむ」という言葉は、「行文類」(『原典版聖典』二一一頁)の六字釈にも帰命の帰の字の訓としても用いられていた。 すなわち「帰説(きえつ)也」の左訓に「よりたのむなり」とあり、「帰説(きせい)也」の左訓に「よりかかるなり」といわれたものがそれであって、「本願招喚の勅命」にわが身をまかせている状態をあらわしていた。 「たのむ」には現代では「たよりにする。あてにする。信頼する。たよるものとして身をゆだねる。懇願する」などの意味があるが、親鸞聖人の「たのむ」の用法のなかには「懇願する」という意味は全くなく、「たよりにする、まかせる」という意味でのみ用いられている。それは「たのむ」を漢字で書かれる場合には必ず「憑」を用い、他の漢字に当てはめることがなかったことによって明らかである。「憑」は、「よりたのむ・よりかかる・まかせる」という意味をもち、決して懇願するというような意味はなかったからである。 のちに蓮如上人が信心を専ら「弥陀をたのむ」といい表されたのはこの用法を踏襲されたものである。
また親鸞聖人は信心を「真」の意味とされている。「信文類」(『註釈版聖典』二三〇頁)の字訓釈に「信とはすなはちこれ真なり、実なり」といわれたものがそれである。もともと「信」は「真」という意味であり、「真」には「実」という意味があるところから、信を真実といわれたのである。親鸞聖人が、信をつねに真実と関連させ、如来の真実なる智慧と同質の信でなければ如実の信心ではないといわれるのも元来信は真であったからである。 いいかえれば聖人が信心とは「本願他力をたのむ」ことであるといわれたときには、本願こそ究極の真実であるから、はからいなく「たのむ」という信相が成立するのだということを顕したかったのであろう。
五 歓喜の意味
「歓喜といふは、歓は身をよろこばしむるなり、喜はこころによろこばしむるなり、うべきことをえてんずと、かねてさきよりよろこぶこころなり」といわれたのは信心に備わっている歓喜の意味を解釈されたものである。 浄土へ招喚したまう本願のみ言葉をはからいなく聞き受けるところには、この一生が終れば、必ず浄土に生れ、生死を超え、愛憎の煩悩の寂減した安らかな涅槃のさとりを得しめられるという安らぎと喜びがめぐまれる。それは信楽の楽の字に顕されている意味で、信心に備わっている安堵心のことである。もちろんそれは、天にはね、地におどるほどの大きな喜びのすがたをとるものではないが、しかし愛するがゆえに別離を悲しみ、怨憎しあうもの同土が会わねばならぬ人生を痛むものにとって、愛憎の寂減する涅槃の浄土をおもうことは、身も心もやすらぐことである。これを「歓喜」といわれたのであった。ここに歓喜とは「歓は身をよろこばしむるなり、喜はこころによろこばしむるなり」といい、身も心も喜びに満ちあふれるといわれているのは、如来より賜った信心のもつ広大な徳を顕されたもので、その徳からいえば、まさに喜びに満ちあふれた生活をしなげればならないのであるが、煩悩に覆われている私どもの現実の喜びはまことに些細であることは『歎異抄』第九条(『同』八三六頁)の法語のとおりである。
なお親鸞聖人は、救われたよろこびをあらわすのに「歓喜」という場合と「慶喜」という場合とで意味を変えられていた。どちらも身も心もよろこびに満ち澄れるような状況を表す言葉であるが、「歓喜」は、「うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」といわれるように、まだ実現してはいないが、必ず実現することに決定している事柄を期待をこめてよろこぶ場合の用語であるといわれる。したがって浄土に往生して悟りを得しめられることをかねてからよろこぶという未来形の言びを表すというのである。それにひきかえ「慶喜」とか「慶楽」は後に解釈されるように「うべきことをえてのちによろこぶこころなり」といわれるように、既にわが身の上に実現している事柄をよろこぶ場合に用いられる用語であった。そのことについては後に詳しく述べることにする。
六 乃至の意味
「乃至は、おほきをもすくなきをも、ひさしきをもちかきをも、さきをものちをも、みなかねをさむることばなり」といわれている。「乃至一念」とは「すなわち一念に至るまで」と読むが、乃至とは一念とか十念というような数量を限定しないことを表す言葉であった。すなわち乃至一念という場合は、一生涯の相続を乃至の言葉で省略しており、一生涯から一念に至るまでのすべて含むことを表していた。乃至十念の場合は一から十までと、十から一生涯に至る相続とのすべて含めて乃至十念と誓われていたというべきである。このように本願の「乃至」という言葉には、数の多少も、時間の長短も、次第の前後も、すべてが包摂されているというのが親鸞聖人の乃至の領解であった。「行文類」(『同』一八八頁)には一多包容の言なり」といい、「信文類」(『同』二五一頁)には「多少を摂するの言なり」といい、『浄土文類聚紗』(『同』四七九頁)には「上下を兼ねて中を略するの言なり」といわれている。これらの釈をまとめたものが上記の乃至の釈であったといえよう。
このような意味を持った乃至には、二つの方向が含まれていることがわかる。すなわち一から十・百・千というように少から多に向かっていく従少向多の方向と、千・百・十・一というように多から少に向かう従多向少の方向である。従多向少の釈は十声でも一声でもただ本願の名号を聞くだけでも往生が可能であるように成就されているのが本願名号の救いであると表す立場である。善導大師が、『礼讃』(「信文類」引用『同』ニニ八頁)の法の深信の釈下に本願の乃至十念の心を表すのに「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし」といわれたものがそれである。 それは本頴の名号が正定の業であることを表そうとする釈であるから業因門(安心門)の釈といいならわしている。この場合は乃至を下至といい換えられているところに特徴がある。それにひきかえ従少向多は正定業である念仏を相続していく相続門(起行門)の表し方であって、『阿弥陀経』に一日乃至七日の念仏相続を説かれているような表し方がそれである。覚如上人が多念相続の念仏は正因決定後の仏恩報謝の営みであるといわれたのはこの立場を報恩として位置づけられたものである。 こうして乃至という言葉に従多向少、従少向多の意味を内包しているとすれば、乃至一念にせよ乃至十念にせよ、数の多少や、時間の」長短を問わずみな含めて誓われていることがわかる。そのことを『唯信紗文意』(『同』七一六頁)には次のように示されている。
- 「乃至」はかみしもと、おほきすくなき、ちかきとほきひさしきをも、みなをさむることばなり。多念にとどまるこころをやめ、一念にとどまるこころをとどめんがために、法蔵菩薩の願じまします御ちかひなり。
すなわち本願に乃至という言葉を用いられたのは、一念多念の争いを止めるためであったといい、乃至を一念多念の執着を批判する根拠とみなされているのである。信心について「乃至一念」といわれた場合も、信心は電光石火のように一瞬に消え去るものではなく、その人の生涯を貫いて相続していくが、その信心が初めて私の上に開け起こった時を一念というと表しているのであって、生涯相続ずべき信心であることを知らせるために「乃至一念」といわれているのである。また行についていえば、一声が少なすぎるわけでもなく、千声万声が多すぎるわけでもなく、数の多少、時間の長短を問題にせず、一声一声が無上功徳であるような念仏を「いのち」のかぎり称え続けるのが念仏往生のこころであるということを知らせるために「乃至一念」とも「乃至十念」とも誓われているといわれるのである。なお行の一念多念については行一念釈に至って詳しく述べることにする。
七 信の一念
一念といふは、信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり」といわれたのは、信の一念を解釈された言葉である。一念とは信心がおこる時の極限を顕した言葉であるといわれるのである。
もともと「一念」と訳される梵語には二種があって、意味は全く違っていた。一つはeka-ksanaの訳で、一刹那と音訳することもある。それは極めて短い時間の単位をあらわしていた。もっとも時間としての一念の長さについては経論の中に異説があって、必ずしも決まったものではなかった。たとえば『大智度論』巻三十(『大正蔵』二五・二八三頁)には「一弾指の頃に六十念あり」といわれているし、『同』巻三十八(『同』三三九頁)には「時中の最小は、六十念中の一念なり」といっている。また『仁王経』巻上(『大正蔵』八・八二六頁)には九十刹那を一念とするといい、一刹那に九百生減を経るといっている。なお『論註』巻上(『註釈版聖典七祖篇』九八頁)の八番間答には「百一の生減を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念となす」といわれていて、一刹那は百一の生減のことであり、一念は六十刹那のことといわれている。ただし『論註』では本願に十念とか一念といわれたのは、こうした時間のことではなくて、心念の意味であり、また称念のことであるといわれていた。このようにさまざまな説があって一定しないが、基本的には一念といっても一刹那といっても、実際にそれがどれほどの長さであるかはわからないし、それを詮索する必要もないことは後に述べるとおりである。さらに転じて、「ただちに」「たちまち」という意味で使われることもあった。もう一つは、eka-cittaの訳で、何かを一たび心に念ずることを意味していた。この場合一念とは「ひとおもい」」を意味しており、仏の総相あるいは別相を「ひとたび想うこと」とか「ひとおもいの信心」を意味することもあり、また一声の称名(称念)のことを一念ということもある。後に述べる行の一念がそれである。あるいは一向と粗み合って、「ひたすら」の意味で使われることもある。さらに時間と心の働きとが一緒になって、「極めて短い時間に起こる心の作用」「ひとおもいの心」ということを表したりもする。
親鷺聖人は、「信文類」(『註釈版聖典』二五〇頁)に、信心についての一念を解釈されるのに時剋釈と信相釈とを施されていた。時剋釈とは、
それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。
といわれたものがそれである。「信楽開発の時剋の極促を顕」すといわれているから、一念を時剋の意味で解釈されたものとみて、時剋釈といい習わしているのである。それに対して信相釈というのは、次下に「本願成就文」の乃至一念について、
一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。
といわれたものがそれである。この場合は「一念」とは「一心」と同じ意味で、「二心」すなわち疑い心がない状態をいうのであるから、時間としての一念ではなく、信心のありさまをあらわすから、信相釈といいならわしているのである。もっとも親鸞聖人は「本願成就文」の当分は、時剋の一念を顕しているとみられるから時剋釈が当義であって、信相釈は宗義をあらわす義釈と見られていた。なぜならば、経文は、名号を聞信するときに即時に往生が決定するという正因決定の「時」を表すことを主とした経説であるからである。それゆえ『二念多念文意』は時剋釈だけを挙げられたのである。
もっとも仏教では時間を実体と見ることはなかった。『華厳経旨帰』(『大正蔵』四五・五九〇頁)に「時に別体なく、法に依って立つ」といわれるように、時間そのものが実在するのではなくて、諸法の生減変化という状況があるのである。すなわち一瞬もとどまることなく生減変化していく存在の状況を表すために過去、現在、未来という「時剋」を設定しているに過ぎないのである。いまも時剋の極促といっても時間が実在するということではなくて、信楽の開発という事柄を時間的に表現しているのである。仏願の生起本末を如実に聞いて、生死を超えていく手がかりさえももないこの罪障の身を、障りなく救いたまう難思の弘誓のましますことを信知し、無上涅槃を一定と期する信心が、わが身の上に開け発ったという状況があるのである。そのような「信心をうるときのきはまりをあらはすことば」が「一念」であるから、「信楽開発の時剋の極促を顕す」といわれたのである。
その「時刻の極促」において現成している信心は、一切衆生を平等に救うという、人間の思議を超えた広大難思の本願を聞信して、あいがたい本願にあいえたことを慶喜する心であるから、信楽の一念は、広大難思の慶心が現成しているという言外の意味がひそかにあらわされている。そのことを「広大難思の慶心を彰す」といわれたのである。 ところで信の一念が「信楽開発の時剋の極促を顕している」ということは、文章のうえにはっきりと見ることができるから「顕」という字を用い、その時に起こっている信心が「広大難思の慶心」であるということは文面に見えていない事柄であるから「彰」という字を用いられたのである。「西本願寺本」に「彰」の字に「ウチニアラハス」という左訓を施されているのはその故であろう。
さて「時剋の極促」あるいは「ときのきはまり」ということの意味について二説がある。それは極促の促について延促対の促とみるか、奢促対の促とみるかによって意味が変わるからであった。延促対の促ならば、延に対する短促の意味になり、延びるに対して縮まることを意味していることになる。しかし奢促対の促ならば、遅いに対する速いということを意味していることになるからである。
第一説の延促対で促を解釈するならば、「極促」というのは生涯持続する信心がつづまった極限のこととなり、信心が開け発った最初の時(初際)を一念といったとし、一念を「初めの時」と解釈するのである。この場合は速い遅いは問題にはならない。しかし第二説のように、奢促対で促を解釈するならば、信心を得るのに要する時間が極めて速いということを極促といったことになる。この場合は時聞の速さの極限を意味していることになる。
親鸞聖人が延促対で時剋の極促を見られたと思われるのは『浄土文類聚紗』(『註釈版聖典』四八〇頁)の本願成文の」「乃至一念」の釈である。
また「乃至一念」といふは、これさらに観想・功徳・遍数等の一念をいふにはあらず。往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり、知るべし。
と釈されているものがそれである。すなわち念仏者の生涯を貫いて相続し、延びていく信心が、はじめて私どもの心に開け発った時のことを「極促」とも「ときのきはまり」ともいうのである。相続し延びていく状態を「乃至」であらわし、それのつづまりきった極限は最初に発った時であるから一念」といわれたとするのである。 したがってこの場合、一とは「初一」のことで、「はじめ」という意味であり、一念とは時刻、すなわち時間の始まりを表す言葉となるのである。こうして、延促対の促の意味で、「時剋の極促」を解釈するならば、仏願の生起本末を疑いなく聞き受けて、信心が開け発った最初の時、すなわち受法の初際のことであって、信心を得るのに要した時間の「速さ」を表わしたことばではないということになる。
それにひきかえ奢促対で時剋の極促を見られていたと思われるのは、西本願寺本の『教行証文類』の極促の促に「トシ」という左訓があり、また「行文類」の六字釈に「報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり」といわれているが、高田専修寺本『教行証文類』(『原典版聖典』校異篇一〇九頁)には、その「極促」に「キワメテトキナリ」という左訓が施されている。これらはいずれも促を「はやい」という意味で見られたものと考えられるから、極促とは信心を得るに要する時間が極めて速いという意味を表していたことになる。なお奢促対という言葉は「行文類」一乗海釈(『註釈版聖典』一九九頁)に用いられている。
こうして信の一念を時剋の意味で解釈していく時剋釈に、一念を信心が私のうえに開発した最初の時と見る説と、一念を極めて速い時聞のことと見る説とがあることがわかったが、私は両者は必ずしも矛盾する説ではないとおもう。成就文の「乃至一念」とは、生涯相続していく信心が初めて私の心に開発したという事柄を表しているのであるから、一念を受法の初際と見るべきことはいうまでもない。しかしその信心が開発するのに時間的な経過を必要としないという意味で、「キワメテトキナリ」ともいいうるのである。一念を極めて速い時間とみるといっても、それは何万分の一秒というふうに数字で表すことの出来るような時間ではなくて、「ときのきはまり」すなわち時間の極限を表しているのである。先哲の中には、それは凡夫に識別できる時間ではなくて「唯仏与仏の知見」であるという人もいる。それは、しかし信心が私の心に開き発る時間の長さを識別することができないということであって、信心がわからないということではもちろんない。時の長さを識別できないということは、対象化できない時間ということである。信心を得るのに時間的な経過を要しないということでもある。しかし対象化できず、経過しない時間とはもはや時間とはいえないような時間であるといわねばならない。
信心が私の上に実現するのに時間的な経過を要しないというのは、第十八願の信心は、如来より回向されたものであって、人間が作り上げていくものではないということを表している。自分で作り上げていくものならば、どんなに速く仕上げたとしても、必ず時間の経過を要する。しかし「必ず救う」という本願のみ心が私の心に宿るのには時間はかからないのである。天上の月がその影を水中に宿すのに時間の径過を要しないのと同じである。 時魁の極促とは、本頴力回向が現成する時を超えた時を顕す言葉だったのである。
こうして信の一念の時剋釈における「一念」には、受法の初際を表すという延促対の「促」の意味と、極めて速い時間、いいかえれば時間を要せずに信心が成就するという奢促対の「促」の意味との両義を含んでいるのが親鴛聖人の時剋釈であったというべきであろう。要するに信の一念とは、私のうえに信心が初めて発った時ということであるが、その信心が発るのに時間の経過はない、それは如来より賜った信心であるからであるという、他力回向の信心のありようを表していたといえよう。
ところで「信文類」(『同』二四五頁)に、四不十四非をもって大信海の徳を讃えられる一段がある。そこに、「多念にあらず、一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり」といわれている。それは信心の本体は如来の智慧であるということを顕示されたものであった。それゆえ分別的に説かれていく相対的な状況を十八項目にまとめて、そのすべてを「非」といい「不」といって否定していかれたのである。如来の無分別智の領域にあっては、分別知が作りあげた過去、現在、未来といった対象化された三世の時間系列はすべて不可得として否定されていく。そして「一念に無量劫を摂め」ただ今の一瞬が三世であるような、いわば念劫融即というような超時間的な時を自覚的に生きていくのが仏陀である。そのようなさとりの智慧の領域においては前もなく後もなく、始めもなく終わりもないから、したがって一念とか多念というような区別はない。ゆえに非一非多というのである。 それにひきかえ凡夫には過去・現在・未来という三世の差別が厳然と立ちはだかっている。虚妄なる分別によって三世という生死流転の時間を描き出し、その時間に束縛されて身動きができなくなっているのが凡夫である。こうした私ども凡夫を救うために、三世を超えた超時間的な如来の智慧が、凡夫の生死流転という時間系列のなかに現れて呼び覚ましていく。それを如来の大悲招喚というのである。
信の一念とは、曠劫のむかしから未来際を尽くして生死流転する空しい三世を断ち切るように、三世を超えた如来の願心が大悲招喚の勅命となって、私の煩悩のただなかに現成する充実した「時」である。それゆえ聖人はその「時」の内実を「広大難思の慶心」といわれたのであった。すでに三世を超えた仏心の宿る「ただ今」が信の一念であるならば、それは時間の中にあって時間を超えている。それゆえ一念の信はそのまま「一念にあらず、多念にあらず」ともいわれるのである。しかしその三世を超えた一念の信から、信受した本願のみ言葉のままに念仏していく人生が開かれていく、そこに自ずから一念から多念へという念仏生活が展開していくのである。
このような信の一念において、私の時間の意味、すなわち私の人生の意味と方向が転換する。それは煩悩にまみれた、しかも悔いに満ちた過去の中にも、大悲をこめて私を念じ育てたまうた久遠の願心を感じ、そこに遠く宿縁を慶ぶという想いが開けてくる。また次第に迫ってくる死の影におびえ、人生の破滅という暗く閉じられた未来への想いを転じて、死を往生と聞き開くことによって久遠の「いのち」を感じ、涅槃の浄土を期するという「ひかり」の地平が開けてくるのである。こうして信の一念という「いま」は、新たな過去と将来を開いていくような「現在」であるといえよう。それは決して対象化できず、主体的に生きるしかない「時」であった。
それは信心が開発した最初の一念がそうであるというだけではなくて、どの「今」を取ってみても如来の招喚の勅命に呼び覚まされている信心は常に一念であるといわねばならない。信心とはつねに現前の仏勅に信順しているほかにはなく、決して過去形や未来形を取らないのが特徴であるからである。その意味で信心は初後不二であって、信心には一念はあるが多念はあり得ないといわねばならない。多念ということが成立するのは、一応数量として数えることが可能な称名においてのみ可能であったのである。 本願を信ずる「ただ今」の一念は、こうして如来、浄土を中心とした新しい意味を持った人生を開いていくのである。それを親鸞聖人は現生正定聚という言葉で表されたのであった。
八 至心回向釈
「至心回向といふは」からは、成就文の至心回向を釈されるのである。ふつうは「至心に回向して」と読み、私どもが、「まごころこめて回向する」ことだとみられていた。それを親鸞聖人は、「至心に回向したまへり」あるいは「至心に回向せしめたまへり」と読み、阿弥陀如来が「まことごころをもって、南無阿弥陀仏を回向してくださる」ことであると顕されたのである。親鸞聖人のこのような独特の読み方を覚如上人は成上起下の言葉と領解されている。すなわち『願願紗』(『真聖全』三・四七頁)に、
至心回向の四字は成上起下とならふなり。成上といふは上の信心歓喜を引起すること法蔵因中の至心より生ず。起下といふは下の住不退転の前途を達すること、また至心に回向したまへる如来大悲の無縁の慈悲より成ぜらるるものなり。
といわれたものがそれである。本願の名号を聞かせて信心を発起せしめたまうことは、法蔵菩薩の平等大悲の願心の成就相であるというので親鸞聖人は、「信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す」といわれた。その本願が成就したとき如来は真実心をもって名号を回向し、大悲をこめて招喚し続け、私どもに信心を恵み与えられる。そのこころを顕すのが「至心に回向したまへり」という経説のもつ成上の意味であるというのである。 また聞信の一念に「即得往生」の利益が成就するのも如来の「至心に回向したまへ」るたまものであるということを知らせる経説であるというのが起下の意味であるというのである。要するに「至心に回向したまへり」と読むことによって、信心も信心の利益もともに本願力回向のたまものであるということが明らかになるのである。
「至心は真実といふことばなり、真実は阿弥陀如来の御こころなり」といわれたのは親鸞聖人独自の至心釈である。至心を真実心といわれたのは、善導大師が『観経』の至誠心を「至とは真なり、誠とは実なり」といわれた至誠心釈を受けられたことは周知の通りであるが、その至誠心、あるいは至心の本体を如来の真実心と明確に規定されたのは隆寛律師であった。しかし本願の至心は直ちに如来の真実心ではなくて、真実心の表現である真実の本顕に帰する衆生の心とされていた。その心には自力の虚仮が雑わっていないから至心といわれるというのであった。そのことについてはすでに詳しく述べたとおりである。親鸞聖人はそれを展開して「信文類」や『浄土文類聚紗』の三心釈を始め随所に、本願の至心は如来の智慧の徳を回向された至心であるといい、その至心が信楽の体であると釈顕されていた。しかし『尊号真像銘文』本(『註釈版聖典』六四三頁)には至心を釈して、
「至心」は真実と申すなり。真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし。濁悪邪見のゆゑなり。
といい、本願の至心を直ちに如来の真実心と見る約仏の至心釈を施されていた。今もそれと同じである。『尊号真像銘文』に「煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし濁悪邪見のゆゑなり」といわれたのは、人間は意識するとしないにかかわらず、善意にせよ、悪意にせよ、さまざまなうそ・いつわりなくしては生きていけないような迷妄の存在であるということである。それは自己中心的な想念に支配されている私どもの存在の根源に根ざした迷妄であった。常に自己を座標軸の原点として、そこから自他を分別し、生死を分別し、是非・善悪・愛憎の渦巻く世界を描き出しているのが私という存在なのである。それゆえ私どもは我執・我所執を離れて物を考えることも行動することもできない存在であると洞察された言葉であった。
しかし又それはそのまま如来の真実に触れたところから返照された自己省察であったとも言えよう。真実に触れなければ虚偽を虚偽と知ることもできないからである。私が描き出している世界が虚構の世界であるということを知らせてくれる真実が『大無量寿経』に顕示されている阿弥陀仏の御心であり、その行動であった。それがここに「真実は阿弥陀如来の御こころなり」といわれた言葉である。真実とはいつわることなく、へつらうことなく、みずからも真実に生き、人々をほんとうに救いきることであるが、そのようなことができるのは、自己中心的な妄念を完全に破って、我執も我所執も完全に浄化し、生死一如、怨親平等といわれるような境地を実現された如来だけである。そのような自他一如の真実は、「若し生まれずは正覚を取らじ」と衆生の往生と仏の正覚とを不二に誓われた阿弥陀仏の第十八願のうえにあらわされている。この自他一如の本願の真実が具体的に衆生を救済する有様を親鸞聖人は本願力の回向という名目をもって顕されたのであった。
「回向は、本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり」というのは、このような如来の本願力回向のいわれを釈されたものであった。もともと回向とは回転趣向の義であるといわれる。慧遠法師(五二三ー五九二)の『大乗義章』(『大正蔵』四四・六三六頁)の回向義によれば、回向とは「おのが善法を回らして、趣き向かふ所あり、故に回向となづく」と定義し、その趣向するところにしたがって菩提回向、衆生回向、実際回向という三種の回向を挙げている。菩提回向とは、あらゆる修行によって獲得した行徳を、ひたすら一切種智とよばれるさとりの智慧の完成に向けていくことをいう。いわゆる自利の成就をめざすことである。衆生回向とは、迷える衆生を深く憐れみ念じて、自己の行徳を衆生に旋し与えて、彼等の仏道の助縁としていくことで、利他の完成をめざすことである。実際回向の実際とは、空無為のことで、有為無常をはなれて真実なる無為法性にかなっていこうとすることをいうのである。要するに智慧をもって自利の徳を完成し、慈悲をもって利他をおこない、無為涅槃にかなっていこうとすることを回向というのであるから、仏道体系の全体をおおう意味をもっていたことがわかる。
ところで親鸞聖人が本願力回向の宗義を完成するにあたって、最も大きな影響を受けられたのは天親菩薩の『浄土論』と、その註釈書である曇鸞大師の『論註』であった。『論註』下(「註釈版聖典七祖篇』一四四頁)の善巧摂化章に」『浄土論』」の巧方便回向の回向についてつぎのように註釈されている。
おほよそ回向の名義を釈せば、いはく、おのが集むるところの一切の功徳をもつて一切衆生に施与して、ともに仏道に向かふなり。
すなわち三種回向のなかでは衆生回向の意味にあたる。親鴛聖人が本願力回向といわれたときの回向はこの巧方便回向を指していた。
うそ・いつわりに満ちた私どもは、自他一如の本願の世界から大悲をこめて回向されてきた南無阿弥陀仏という真実のみことばによびさまされて、自身の虚仮不実を慙愧しながらも、本願の真実に支えられて浄土に向かった人生を歩んでいくのである。虚仮不実の人生を、仏道としての真実の人生に転換するのが如来の至心回向である。
九 願生彼国について
「願生彼国といふは、願生は、よろづの衆生、本願の報土へ生れんとねがヘとなり。彼国はかのくにといふ、安楽国ををしへたまへるなり」とは、願生彼国の釈である。本願は阿弥陀仏の願いであるから「我が国に生れんと欲へ」といわれているが、成就文は釈尊の言葉であるから「彼の国に生れんと願へ」といわれている。 「信文類」には「欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」といい、阿弥陀仏が大悲をこめて私どもを浄土へ招喚したまう勅命であるといわれていた。それに対すれば成就文は娑婆界に出現された釈尊が、彼の国を願生せよと発遺したまうみ言葉であった。それを「よろつの衆生、本願の報土へ生れんとねがへとなり」といわれたのである。ここで阿弥陀仏の浄土を「本願の報土」といわれているところに、「衆生もし生れずは正覚をとらじ」と誓われた大悲の誓頴に酬報した願力成就の報土であることを顕すとともに、自力を捨てて本願他力を信受する念仏の衆生は、たとえ罪業深重の凡夫であっても決定して往生を得しめられる大悲の世界であることを顕していた。親鸞聖人が『高僧和讃』(『註釈版聖典」五九一頁)に、
煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ
と仰せられたのはその心を顕されたのであった。しかしまた願力成就の浄土であるから、たとえ大菩薩といえども自力の心行によって往生することも感得することも不可能な世界であることを反顕して次上の和讃には、
願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり
と讃嘆されていた。 自分のことでありながら自分の生きていることの意味も知らず、死の意味もわからず、人生の行方の見定められないまま、空しく生死していく愚かな私どもに向かって、生死を超えた彼岸の世界から、阿弥陀仏は「わが国に生れようと欲え」と招喚しつづけ、釈尊は「彼の国へ生れようと願え」と発遣し統けられている。それが『大無量寿経』なのである。この二尊の勅命を疑いを雑えずに聞き受けることを信楽という。その信楽には、浄土を一定と期する心がそなわっている。それを欲生心とも願生心ともいうのである。先哲が欲生は信楽にそなわっている義を別開されたものであるといわれたのはその意味であった。『尊号真像銘文』(『同』六四三頁)に「欲生我国といふは、他力の至心信楽のこころをもつて安楽浄土に生れんとおもへとなり」といわれたのはそのような信心の構造を示されたのである。こうして二尊の勅命に信順して、人生の行方を浄土と期するところに浄土教独自の生死を超える道がある。そこで浄土願生の信心ともいい、信心のことを願往生心ともいわれることがあった。今ここに「彼の国に生れんと願え」といわれた言葉には「信心歓喜して彼の国に生れんと願え」と願生の信心を重ねて説かれたという意味があった。古来成就文の願生は信心の重説であるといわれるのはその故である。
十 信益同時
「即得往生といふは、即はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり」というのは、まず「即得往生」の即の意味を釈されたものである。「即」は動詞としては「つく」、副詞としては「すなわち」と読み「すぐさま」とか、「AはつまりBである」と直結することを強調する言葉として用いられる。また接続詞として、「AするとすぐBとなる」というように間をおかず直結しておこることを表したりする言葉である。これについて親鸞聖人はここに時間的な意味の副詞としての用法と、即位の意味の即という動詞としての用法を挙げられている。ところで即を時間的な意味を顕す言葉として用いる場合に仏教では同時即と異時即に分けている。同時即というのは、ある二つ以上の事柄が同じ時間内で起こっているような状態を顕す時に用いる即である。異時即というのは、二つ以上の事柄が時間的に前と後という隔たりを持ちながら密接な因果関係をもって生起している状態を表す即である。
本願成耽文の「即得往生」は、元来は異時即で理解すべき事柄であったと考えられる。すなわち「信心歓喜乃至一念」というのは、現生における出来事であり、「即得往生住不退転」は今生が終わって後に浄土に往生して不退転に住するとみるべき文章であった。信心歓喜は因であり、往生はその果であるから、時間的には前後があるが、因が果になるという必然的な関係があるので「即・すなわち」と説かれたと見るべきであろう。後に述べるように、浄土に往生して初めて不退転とか正定聚の果を得るというのが、第十一願と同成就文の当分の意味であったからである。
しかし親鸞聖人は、それを同時即とみなし、信心を得た即時に正定聚の位につき定まることを「即得往生」と説かれたといわれるのであった。おそらく聖人が即得往生を現生で語られたのは、現生不退説を確立されていたからであろう。すなわち「住不退転」が現生の利益であるならば、その前提になっている「即得往生」は現生の利益でなければならないということになるのである。そこで「即得」の即を同時即とみなされたのである。
同時即とは、同一時間内に、二つ以上の事柄が、相関性、因果性をもちながら生起しているという状況をあらわしている。願力を聞くことと、信楽が開発することと、報土の真因が決定して即得往生の益を得る、すなわち正定聚に入ることとが同時に成就することを時間的に表現したのか「即」であった。同じことを「行文類」(『同』一七〇頁)の六字釈では「時剋の極促」という言葉で顕されていた。すなわち「玄義分」の六字釈の「必得往生」を釈するのに、成就文の「即得住生」とあわせ、その「即」を釈して「即の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり」といわれているのがそれである。これは「即」を同時即とし、願力を聞信すると同時に報土の真因が決定し、正定聚に入らしめられることを即得往生と説かれたというのである。。高田専修寺本にはこの「極促」に「キワメテトキナリ」と、利益を得る「時」の速疾をあらわす意味の左訓か施されていることはすでに述べたとおりである。この場合の速さも、時間的な経過のある速さではなくて、時間の極限を極促といわれたとしなければならぬ。 こうして親鸞聖人は、成就文では信楽が開発する一念の時のことを「時剋の極促といい、六字釈では、報土の真因が決定し、不退転の益を得るの即時であるということを、「時剋の極促」といわれていたことがわかる。これによって、名号を聞いて信心を得る時と、信心を得て、往生の因が決定する時とは同時であって、しかも「極促の一念」に成就する事柄であるとみられていたことがわかる。この場合の即を同時即という。
こうして成就文の「一念」は、上の「その名号を聞いて信心歓喜す」という言葉に対すれば、名号を聞いた即時に信心が開発するということを顕し、下の「即得往生」と対望させると、信心が開発したと同時に正定聚に住し、即得往生の益を得るという信益同時という速疾の利益をあらわすことになる。「親鸞聖人御消息』第一通(『同』七三五頁)に「信心の定まるとき往生また定まるなり」といわれたゆえんである。
「即得往生」の「即」を同時即と解釈された親鸞聖人は、さらに「即」を「つく」と動詞で解釈し、「その位に定まりつくといふことばなり」といわれている。「即位」というように、位に就くことを「即」という言葉で表す例があったからである。これについてこの『一念多念文意』『同』六九二頁)では後に「致使凡夫念即生」の即生を釈するのに即を即位の意味とした上で次のように詳しく解説されている。
また「即」はつくといふ、つくといふは位にかならずのぼるべき身といふなり。世俗のならひにも、国の王の位にのぼるをば即位といふ、位といふはくらゐといふ、これを東宮の位にゐるひとはかならず王の位につくがごとく、正定聚の位につくは東宮の位のごとし、王にのぼるは即位といふ、これはすなはち無上大涅槃にいたるを申すなり。
これによると、王位につくことを即位というが、王位につくことに決定している人を東宮という。王は究極の位であるから王位につくことは、仏法でいえば無上大涅槃を極めた仏の位につくのに喩えられる。いま「即得往生」という言葉で表される位は、仏になることに決定している正定聚の位であるから、世俗でいえば東宮の位につくようなものであるというのである。
十一 摂取不捨と正定聚
「得はうべきことをえたりといふ」とは、即得往生の得を釈されたものである。得なければならないことを既に得ているという既得の意味で「得」を解釈されているが、これは先に述べたように、実現の時を未来に見てのよろこびであった歓喜の内容ではなくて、むしろすでに実現している事柄を喜ぶときに用いられる慶喜の内容として即得往生を語っておられる証拠である。それが現生正定聚としての即得往生だったのである。
「真実信心をうれば、すなはち無碍光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。摂はをさめたまふ、取はむかへとると申すなり。をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを往生を得とはのたまへるなり」とは、即得往生を現生の益と見るのは、正定聚(不退転)を現生で語るからであるが、その現生正定聚説は、信心を得た時に摂取不捨の利益に預かるからであるといわれているのである。
親鸞聖人が、信心を得た平生のときに往生・成仏すべき身に定まるという現生正定聚説を強調し、従来の浄土教の常識であった、臨終に来迎を感得したときに初めて往生が定まるという隔終業成説を否定していかれたことは周知のところである。ところでその現生正定聚説の論拠のなか、まず文証は龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』「易行品」(『註釈版聖典七祖篇'一五頁)であった。 すなわち「阿弥陀仏の本顕はかくのごとし、もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三貌三菩提を得」といわれたものがそれである。聖人がしばしばこの文章を引用されるのがその証拠である。しかしそれも強力な理証に裏付けられてはじめて成立することであった。
先哲の中には正定業である名号を領受しているから正定聚に住するのであるという説もある。確かにそのようたことも考えられるが、聖人の著作の中に、正定業を論拠として正定聚を語られたものは見られない。それに称名正定業を力説された善導、法然両祖の教学の上にも現生正定聚説はみうけられないから、この説は積極的な論拠にはならないだろう。むしろ撰取不捨の利益の必然の帰結だったというべきである。
すなわち真実信心を得れば、無碍光仏の障りなき救いの光に摂取されるから、即座に正定聚に住するのであると、摂取不捨を論拠として現生正定聚説を確立されていたのである。そのことは例えば、「行文類」(『註釈版聖典』一八六頁)には行信の利益を述べて、
いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」といへり。曇鸞大師は「入正定聚之数」といへり。
ともいわれていた。これは真実の行信すなわち南無阿弥陀仏に帰命すれば、現生において摂取不捨の利益にあずかるが、そのことを龍樹菩薩は「即時入必定」といい、曇鸞大師は「入正定之聚」といわれたと釈されている。 これは、摂取不捨の利益を根拠として『論註』の彼土正定聚説を現生正定聚説に転釈されたことを物語っている。また『親鸞聖人御消息』(『同』七三五頁)に、
真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心の定まるとき往生また定まるなり。
といい、『尊号真換銘文』(『同」六五七頁)に、
かの心光に摂護せられまゐらせたるゆゑに、金剛心をえたる人は正定聚に住するゆゑに、臨終のときにあらず、かねて尋常のときよりつねに摂護して捨てたまはざれば摂得往生と申すなり。
といわれたものなどいずれも摂取不捨の利益を論拠として現生正定聚説を強調し、臨終業成説を論破されているのである。
ところでこの「行文類」の釈では「摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつる」といい、摂取不捨を阿弥陀仏の名義とされていた。
攘取不捨ということは、もともと『観経』真身観(『同』一〇二頁)に一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」といわれた文に依っていた。しかしこの文章と『阿弥陀経』の名義段(「同』一ニ三頁)の「かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす」という句とを合わせて、阿弥陀仏の名義とされたのは善導大師の『礼讃』(『註釈版聖典七祖篇』六六二頁)であった。すなわち、
かの仏の光明は無量にして十方国を照らすに障碍するところなし。ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てたまはざるがゆゑに阿弥陀と名つけたてまつる。
といわれたものがそれである。この文によって親鸞聖人は阿弥陀仏の名義を摂取不捨として領解していかれたのである。「行文類」のほかにも例えば「阿弥陀経和讃」(『註釈版聖典』五七一頁)に、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれは 阿弥陀となづけたてまつる
と讃詠されたものがそれである。ところで国宝本「阿弥陀経和讃」『原典版聖典』校異篇二四一頁)には、摂取不捨に「ひとたびとりてながくすてぬなり。せふはもののにぐるをおわえとるなり。せふはおさめとる、しゅはむかえとる」という詳しい左訓を記されていた。「摂取不捨」とは、逃げるものをどこまでも追い求めて抱き取るように救い取り、「ひとたび取りて永く捨てぬ」ことであるというのである。信心の行者を決して見捨てたまうことなく臨終の一念まで護り続けることであるから、信心は決して退転することがないわけである。往生成仏の因としての信心が退転しないということは、必ず往生し、成仏すべき身に定められているということであるから、不退転とも、正定聚ともいわれるのである。
ところで『観経』には念仏の衆生が摂取にあずかるといわれていたのに聖人は真実信心を得れば摂取にあずかるといわれている。それは一つには、摂取にあずかる念仏者は、如実の念仏者でなければならないが、如実の念仏とは、念仏住生の本願を疑いなく信じて、本願他力にまかせて念仏している者であって、本願を疑い、自力のはからいを雑えて称えている自力疑心の念仏に簡ぶ意味があったのである。二つには、如来の救いにあずかる時は、念仏往生の本願を信知した信の一念であるからである。行信という場合念仏は行法を顕しており、時を問題にする法門ではない。法が一人一人に領受されるのははからいなく信受した時である。したがって、摂取にあずかる時をいえば念仏したときではなくて、信心が開発した時である。すなわち『歎異抄』第一条(『同』八三一頁)にいわれたように「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき」であるといわねばならない。「御消息」に「信心の定まるとき往生また定まるなり」といわれたのはそのこころを顕されていたのである。
信心の行者が、煩悩具足の身のままで摂取の心光の中に摂取せられているということは、阿弥陀仏を中心として十方世界に展開する、諸仏・諸菩薩・諸天善神・十方法界同生者・十方衆生といった、壮大な尽十方無碍光如来の秩序の中に収められて、その存在が意味づけられていくということであった。親鸞聖人は『浄土論』や『論註』によって、念仏の行者は「大会衆の数に入る」といわれている。大会衆とは、もともと浄土の大講堂に集まって阿弥陀仏の説法を聴聞している浄土の聖衆のことで、五功徳門のなかの大会衆門のことであった。それを「正信偈」(『同』二〇五頁)には、「功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲」といい、功徳の大宝海である本願の世界に帰入する者は、現生において大会衆の数に入るといわれたのであった。煩悩具足の凡夫ではあるけれども、摂取の心光に照らし護られ、南無阿弥陀仏という本願招喚の勅命を聞き続けている信心の行者は、現にいま阿弥陀仏の法座に連なる者として、穢土にありながらも大会衆の数に入るということができるといわれるのである。それが大乗正定聚のすがたであると味わわれたのであった。
十一 即得往生論
「をさめとりたまふとき、すなはちとき・日をもへだてず、正定聚のくらゐにつき定まるを、往生を得とはのたまへるなり」とは、信の一念に正定聚の位につき定まることを「往生を得」といわれていることである。この場合の「往生」の解釈について古来二説がある。
第一説は、親鸞聖人において、真実の意味での往生の名目は難思議往生のほかにないから、いまも住生とは当益のことである。ただ「即得往生」は、信一念即時に往生すべき位につき定まるということなので、即得の二字から、即得往生を現益とされたというのである。沃州師の『宝章綱要』(『真叢』一・一一一頁)に即得往生の得を釈して、
又得とは、此に逮得、決得の二義あり、此中逮得往生は当益なり、決得往生は現益なり、今は決得の義、故に『証文』(四右)に曰く「正定聚の位につきさだまるを往生をうとはのたまへるなり」と。往生の二字は、往生彼国なれば当益無論なれども、得を決得とするが故に之を現益と談ず。
というのがそれである。
第二説は、親鷺聖人には即得往生の義意を顕すのに、往生を当益とし、即得の語から現益とされる場合と、往生という名目自体を正定聚と同じく現益の意味で用いられる場合とがある。但し往生の名目を以て現益をあらわす場合には、自力疑心が死んで摂取不捨の光益にあずかることをいうのであって、浄土へ往生することでも、減度をさとることでもないとしている。道隠師の『無量寿経甄解』一三(『真全』一・三九七頁)に、
即の言、二義を存す。上に向へば則ち聞信同時に往生を得ることを彰す。真因業成の故なり、摂取不捨の故なり。時日を隔てず一念同時に往生を得、異時に非ざること、秤の低昂の時の如し。一念同時中に於て生減あり、故に前念命終、後念即生と云ふのみ。また下に向へば則ち即の言は即位の義を顕す。不退正定聚その位なり。不退位に住するを以て即得往生を顕す。謂く、往生を得るとは、この穢身を捨てて、かの蓮華中に化生するを謂ふには非ず。生因既に成ず、かの当果に於て退かざる分位を即得往生と言ふなり。
といっている。また円月師の『宝章論題』(『真叢』一・一一三頁)には師の月珠師の『成就文講述』を引いて、
即得往生の義亦自ら現生に通ず、之を弘願別途の平生業成の利益とす。然るに今往生と説くもの文相の当位正しく当益に約す、若しその義旨に就くときは現益を含む。(中略)即得往生の言が即ち往益成弁を顕す。 之に依って往生の語自ら現生に通ず。現生摂取、住正定聚を名けて往生とす。『一念多念証文』に云く(中略)三有生死の因亡じ果減するを往と云ふ。摂取の心光に入って仏智に契当するを生とす。これは現生に約するの義なり。
といい、『ロ伝紗』の不体失往生をもって傍証し、現益としての往生もあり得るとしている。 このように即得往生について二説があるが、いずれにせよ、現生の益としての正定聚のこととし、決して現生において涅槃のさとりを得て仏になることではないという点では共通している。ただ往生という言葉の当義が、死後、浄土へ生れて涅槃をさとる難思議往生のことであったことに異論はないが、現生において摂取不捨の利益を得て、正定聚の位につくことを往生といい得るか否かが問題なのである。
私は両説のなかでは後説に従いたいと思う。もともと『一念多念文意』の該当の文がすでに往生について二意を含んでいたと考えられる。すなわち「正定聚のくらゐにつきさだまるを、往生を得とはのたまへるたり」というのは、正定聚に入ることを「往生を得」とみなされた証拠である。このような往生の用例は『唯信紗文意』(『註釈版聖典』七〇三頁)にもあって、同じ成就文の釈下に「即得往生は、信心をうればすなはち往生すといふ。すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ」といわれている。ところが「一念多念文意』の聖人のご自筆本では、その「正定聚」に「わうじやうすべきみとさだまるなり」と左訓されているところからみれば、明らかに往生は当来の利益とみなされる一面もあったといわねばならない。
十三 身命終と心命終
それと関連して『愚禿紗』上の即得往生についての釈が問題になってくる。「愚禿紗』上(『同』五〇九頁)に、真実信心を内因とし、摂取不捨を外縁とするというい内外因縁の和合を示したあとに、
本願を信受するは、前念命終なり。「すなはち正定聚の数に入る」と、文。 即得往生は、後念即生なり。「即のとき必定に入る」と、文。
といわれている。「本願を信受する」というのは、第十八願成就文の「聞其名号、信心歓喜」のこころであり、「即得往生」は、同じく成就文の「即得往生、住不退転」であることは明らかである。そして本願を信受することを「前念命終」といい、即得往生を「後念即生」といわれたものは、信心と利益とを、死と生になぞらえたものといえよう。そしてそれが正定聚に入り、必定(不退転)に入ることであるといわれているのである。
ところでこの「前念命終、後念即生」というのは、善導大師の『往生礼讃』前序(『註釈版聖典七祖篇」六六〇頁)の結文に、
すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。あに快きにあらずや、知るべし。
とあるのに依られたものである。しかし『礼讃』では明らかに今生の終り、臨終の一念をさして「前念命終」といい、安楽国に往生することを「後念即生」といわれたものである。それを親鷲聖人は現生における信心と利益の関係をあらわすものとして転用されたものである。
ところで『礼讃』の前念命終と後念即生は命終の刹那と即生の刹那とが時間的な前後二刹那になっている。それに対して親鸞聖人が顕される信心と入正定聚の利益とは、「ときをへだてず」におこることがらであるから同時であって時間的な前後はない。しかし「真実信心をうれば、すなはち正定聚の位につき定まる」のであって、信心と利益は論理的には前後があって、その順序は逆転しない。そこで『礼讃』の時間的前後関係をあらわす「前念命終」と「後念即生」とを、論理的前後関係をあらわす言葉として転用されたものである。
また本願を信受することを「命終」といわれたのは自力疑心が滅したことをいい、即得往生を後念即生といわれたのは、信心の利益として摂取不捨にあずかれば、正定聚に入り如来の慈光中に生きるものとなるからである。 私はそれを如来の智慧と慈悲の秩序の中に包摂せられ、自己の存在が如来によって意味づけられることであるというのである。覚如上人が『最要紗』(『真聖全』三・五二頁)に、
これによりて、往生の心行を獲得すれば、終焉にさきだちて即得往生の義あるべし。仮令身心のふたつに命終の道理あひわかるべき歟。無始よりこのかた生死に輪廻して出離を稀求しならひたる迷情の自力心、本願の道理をきくところにて謙敬すれば、心命つくるときにてあらざるや。そのとき摂取不捨の益にもあづかり住正定聚のくらゐにもさだまれば、これを即得往生といふべし。善悪の生処をさだむることは心命のつくるときなり。身命のときにあらず。
といい、心命終と身命終を分別されたのも、この『愚禿紗』の意に依られたものであろう。すなわち本願を信受して、自力の迷情の尽きたことを心命終といい、そのとき摂取不捨の利益にあずかり、正定聚に住せしめられたことを即得往生という。それは浄土という生処が定まったことを意味するからであって、それを覚如上人は平生業成といわれるのである。
なお覚如上人は『口伝妙』第十四条(『註釈版聖典」八九七頁)に「体失不体失の往生の事」という故事を記されている。それによれば、法然聖人の御在世中、往生について親鸞聖人と善恵房証空上人との間で体失、不体失の論争があったというのである。親鸞聖人が「念仏往生の機は体失せずして往生をとぐ」といわれたのに対して、証空上人は「体失してこそ往生をとぐれ」と主張されたというのである。この場合不体失往生とは、穢身を失わない現生において往生するということであって、実は平生業成のことをいうとされている。体失往生とは、穢身を失ってはじめて往生することで、実は臨終のときにはじめて往生が定まるという臨終業成のことをあらわすといわれている。
この両者の見解に対して法然聖人は、不体失往生、平生業成説を正義として印可されたといわれている。この諍論が事実であったか否かを傍証する資科はないが、少なくとも覚如上人は、親鸞聖人の現生正定聚説は、心命終のときに不体失往生すると明かされる平生業成説であったと伝承し、領解されていたことは確実である。したがって覚如上人も、往生という言葉を、浄土へ往生して仏果を証するという意味(但し不体失往生に対する体失往生は、臨終業成説のことであったからその意味での体失往生ではない)と、信一念に摂取不捨にあずかり、平生に浄土へ往生すべき業因の成弁した平生業成のことを往生という言葉であらわされる場合との両義を含めて用いられていたと考えられる。
もっとも親鸞聖人にせよ、覚如上人にせよ、現生において往生を語られるのは、現生において、本願を信受する一念に、摂取不捨の利益にあずかり、如来の悲智の徳を身にいただいて、必ず無上涅槃を証得すべき身と定められ、正定聚の位に入らしめられているということを強調するためであった。その正定聚を究極まで追究して、親鸞聖人は、「弥勒と同じ」とか、「如来と等し(等覚)」といわれることは後述の通りであるが、いずれにしても、それはあくまでも因の位であって、すでに涅槃の浄土へ往生し、仏果を極めているといわれることでは決してなかったことは充分留意しておかねばならないことである。
第三講 本願成就文の文意
講讃
そうであるから『大経』には、「如来、世に興出したまふ所以は、群萌を救い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」と仰せられている。この経文の意味は、「如来」というのは諸仏のことをいうのである。「所以」というのは、理由という言葉である。「世に興出したまふ」というのは、仏陀が、迷いの世間に出て来られるということである。「欲」は、こうしたいと思われることである。「拯」は、すくうということであり、「群萌」は、すべての生き物ということである。「恵」は、めぐむということである。「真実の利」というのは、阿弥陀仏の本願を指していう言葉である。
そうであるから、あらゆる仏陀たちが、次々と世間に出て来られる理由は、一切の衆生を救いたまう阿弥陀仏の本顔力を説いて聞かせて、生きとし生けるすべての者に真実の利益を恵みあたえて救うことを本意とされているから「真実の利を恵まんと欲す」といわれているのである。そうであるから阿弥陀仏の本願を説くことを諸仏がこの世間に出てこられた本意、すなわち直説というのである。
総体的にいって八万四千と呼ばれるさまざまな自力の教えは、未熟な者を育てて、浄土真宗に引き入れるための教育的手段としてしばらく説き与えられた仮の教えである。これを真宗に入るための重要な門というので要門という。しかしそれはしばらく用いるだけの権仮(かり)の法門、すなわち仮門と名づけられている。この要門とか仮門という法門が、とりもなおさず『無量寿仏観経』一部にわたって定善や散善によって往生を得ると説かれている教えがそれである。定善とは、心を一点に集中して浄土や如来を観察する修行のことで『観経』には十三種類の観法として説き示されているのがそれである。散善とは、散乱した心のままで、悪を止めて善を修行し、その功徳によって往生しょうとするもので、その行を三福行(世福、戎福、行福)として説き顕し、それを修行する人を九種類に分類して九品とするというような表し方で説かれているあらゆる自力の善行のことである。これらは皆、浄土真宗(第十八願の教え)に導くための教育的な手段として重要な意味をもつ教えであるから方便の要門といい、これを仮門ともいうのである。
このような要門・仮門によって、未熟な衆生を育て、工夫を凝らして導き、究極的には真実の法門である、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海に入れしめるように教え勧められるのであるから、あらゆる自力の善行のことを仮に設けられた方便の教えであるというのである。
いま一乗といったのは阿弥陀仏の本願(の名号)のことである。円融というのは、あらゆる功徳・善根が本願の名号に円かに備わっていて、欠けるものはなく、自ずから人々を救うていく自在のはたらきをもっていることである。無碍というのは、その救済活勤が「衆生」の悪業にも煩悩にもさまたげられることもなく、損なわれることもないということである。
真実功徳というのは(本願の)名号のことである。分別思議を超えた一如真実である真如のことわりが円満しているから、広大無辺な宝の海にお揄えになったのである。分別思議を超えた一如真実である真如というのは、煩悩が完全に消減した最高のさとりの境地である大涅槃のことである。涅槃はとりもなおさず法性(ものの真実の本性)である。法性はとりもなおさず、法性をさとり顕している如来である。宝海(広大無辺な宝の海)というのは、誰も除外することなく、何者にも妨げられることなく、誰もわけへだてすることなく、生きとし生けるずべての者を導かれることを、大海が、きれいな河の水も、汚い河の水もわけへだてなく受け入れて同じ海水にしていくのに喩えられた言葉である。
この分別を超え形をはなれた万物一如の領域(一如宝海)から、形を顕して法蔵菩薩とお名乗りになって、衆生を障りなく救おうという誓願を発された。その誓願の因に報いて誓願のとおりに衆生を救う力を完成して阿弥陀仏と成られたから、阿弥陀仏のことを報身如来と申すのである。この如来を世親菩薩は尽十方無碍光如来と名づけられたのである.この如来を不可思議光仏ともいうのである。この如来のことを方便法身ともいうのである。方便というのは、形をはなれた領域を知らせるために形を顕し、言葉を超えた領域を知らせるために名号をお示しになって、衆生に知らされることをいうのである。それがとりもなおさず阿弥陀仏なのである。
この如来は光明である。光明とは如来の智慧の徳をあらわしている。智慧は光であらわされるのである。しかし智慧は、一切の分別にょる限定を超えた領域をさとっているのであるから、一切の形、すなわちあらゆる限定を超えている。それゆえこの如来を不可思議光仏と申し上げるのである。この如来は、十方の数限りもない世界にくまなく充満して、いまさぬところがないから無辺光仏」(きわ・ほとりなき光の徳をもつ仏)と申し上げるのである。こういう訳で世親菩薩は、阿弥陀仏を尽十方無碍光如来と名づけられたのである。