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探湯不及の情

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2014年5月21日 (水) 12:40時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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たんとう-ふぎゅうのじょう

 悪をさけ善を求めるこころ。 悪を見れば熱湯に手を入れてすぐひっこめるようにこれをさけ、善を見れば及ばずとも求めたいと思うこと。 もと『論語』 季氏(きし)篇に出る。 (論註 P.116)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

孔子曰。見善如不及。見不善如探湯。

孔子曰く、善を見て及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。

吾見其人矣。吾聞其語矣。隱居以求其志。行義以達其道。

吾其の人を見る。吾其の語を聞く。隠居して以つて其の志を求め、義を行いて以つて其の道を達す。

吾聞其語矣。未見其人也。

吾其の語を聞く。未だ其の人を見ざるなり。