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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年4月16日 (月) 16:22時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

けん 

Ⅰ.梵語ドリシュティ(dṛṣṭi)の意訳。推しはかって見解を定めること。見解、思想、主義、主張、などと用いる。正見・邪見などと正・邪にわたって用いられるが、多くの場合間違った見解を指す。誤った見解を二見、五見、七見などと分類する。
① 二見。有見無見、あるいは眼見と聞見のこと。
② 五見。

  1. 身見(自己を実体視し、とらわれる誤った見解)、
  2. 辺見(あらゆる事物を実に有るとか無いとかみなし、極端にとらわれる誤った見解。有見・無見または常見・断見のこと)、
  3. 邪見(因果の道理を否定する誤った見解)、
  4. 見取見(誤った白己の見解を最上のものとみなす見解)、
  5. 戒禁取見(仏教以外の戒律などを解脱の因とみなす誤った見解)の五。

③ 七見。

  1. 我見(実体的な自我に執着する見解)、
  2. 邪見、
  3. 常見、
  4. 断見、
  5. 戒盗見(戒禁取見)、
  6. 果盗見(誤った行為によって得た果報を最上のものとみなす見解)、
  7. 疑見(仏教の真理を疑う見解)の七。

Ⅱ.梵語ダルジャナ(darśana)の音写。見ること。例えば、見諦は四諦の道理を明らかに見ること。見仏は仏に値見(お目にかかる)こと。(仏教語辞典)