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三密

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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さんみつ

 身密(しんみつ)語密(ごみつ)意密(いみつ)。秘密の三業(さんごう)をいう。身に印契(いんげい)を結び、口に真言を唱えて、意に仏を念ずるとき、仏の三業(三密)が衆生の三業(三密)のうえに加わり、仏と行者とが一体となる。これを三密加持といい、このとき行者はこの身のままで仏に成る(即身成仏)と説く真言の教え。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

新纂浄土宗大辞典から転送

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:三密

さんみつ/三密

真言密教に説かれる身密・口密・意密のこと。仏教においては、例えば善導観経疏定善義の親縁釈に、「衆生、行をおこして、口常に仏を称すれば、仏すなわち、これを聞きたまう。身常に仏を礼敬すれば、仏すなわち、これを見たまう。心常に仏を念ずれば、仏すなわち、これを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏また、衆生憶念したまう。彼此ひし三業相い捨離せず」(聖典二・二七二~三/浄全二・四九上)とあるように、人間にしろ仏にしろ、その活動は身体による身業、音声による口業、心による意業三業にまとめられる。密教は、その三業三密と解する。密教の教主大日如来法身として理念的な存在であるはずにもかかわらず、姿形を具え活動する。しかし、その活動は甚深微妙であり、修行が進み悟りの境地に近付いた菩薩たちでさえ窺い知ることができない。それ故、その教えは密なるものであり、法身の活動は三密と解される。また密教においては、人間という存在も活動も大日如来の顕現と位置付けられることから、人間の三業には法身三密と全同のものが秘されており、三密加持という修法により、仏と我とが不二一体となって三業三密に浄化されるという。


【参考】勝又俊教『密教入門』(春秋社、一九九一)、宮坂宥勝『空海密教の宇宙』(大法輪閣、二〇〇八)


【参照項目】➡三業


【執筆者:袖山榮輝】