因分可説/果分不可説
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
2017年9月29日 (金) 01:18時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「いんぶん-かせつ/かぶん-ふかせつ {{Inyou2| 分は分斉(けじめ)の意味で、因の範囲を<kana>因分(いんぶん)</kana>、果の範囲を...」)
いんぶん-かせつ/かぶん-ふかせつ
分は分斉(けじめ)の意味で、因の範囲を
一般に仏教においては、現象世界を因分、さとりの境地である絶対の世界を果分に分ける。現象世界は五官(五感を生ずる五つの感覚器官。目・耳・鼻・舌・皮膚)によって把握したり、文字とか音声によって表現することができるから「
なお経・論・釈の引文などで末尾が「と。」となっているのは「と、言われている」の意で如是我聞(かくのごとく、われ聞きたてまつりき)のことである。また布教使が説教のときの御讃題のあとに「……と~っ」と付けて発声するのもその意味である。