無分別智

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むふんべつち

無分別心(むふんべつしん)真智(しんち)根本智(こんぽんち)ともいう。人間は概念によってモノ/コトを分別して言葉を使うのだが、そのような言葉によっては捉えることのできないさとりの智慧を無分別智という。

分別

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

無分別智(むふんべっち)

大乗仏教の根本的立場を示す重要な語で、通常の主客対立にとらわれた見方(分別)を超えた智慧(ちえ)をいう。サンスクリット語ニルビカルパ・ジュニャーナnirvikalpaka-jñānaの訳。大乗仏教の根本経典である『般若経(はんにゃきょう)』は、菩薩(ぼさつ)の般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の実践として、言語習慣に拘泥した主客対立の分別を徹底的に否定したが、この否定に基づく智慧の立場を術語化した表現が無分別智である。したがって、無分別智そのものは言語表現を超えた境地であるが、唯識(ゆいしき)説ではこれを根本(こんぽん)無分別智とよび、この智を、その前段階である加行(けぎょう)無分別智や、当の根本無分別智の体験に基づいてふたたび言語表現の世界へ戻ってくる後得(ごとく)無分別智の二つと区別しながらも、これら三様のあり方をともに無分別智として認めている。無分別智に基づく仏教的考え方は、近代になって西田幾多郎(きたろう)の哲学などに大きな影響を与えたことが指摘されている。[袴谷憲昭]

オンライン版 仏教辞典より転送

無分別智

無分別心(むふんべつしん)とも言う。

正しく真如を体会する智慧をいう。

真如は一切のを離れており、分別することのできないものであるから、これによって分別と言う精神作用では真如の体性会得することができない。一切の情念の分別を離れた無相の真実の智慧によってのみ会得されるものである。

もし、人間が体会した智が、その智を起したものと異ならなくて、平等が平等に生起したものであるならば、これを無分別智と名づける。  〔摂大乗論 12〕
無分別心は、体と相応するものである。  〔大乗起信論