増上縁
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『観経疏』玄義分に
- しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。
- 弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(玄義分 P.300)とある。
この要門と弘願の関係を、良忠上人は『淨土宗要集』(浄全一一・八頁)で
- 第四、問、何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也。
- 第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得るなり。
と、されている。要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)があいまって往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされるのである。
法然聖人は『西方指南抄』所収の「十七条御法語」で、
- 予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り。「十七条御法語」
と、「玄義分」で示される「要門」と「弘願」は別の法門 (法義体系) であるとみられた。これによって『観経』には「観仏三昧と念仏三昧の一経両宗」(選択集 P.1270)をみられたのである。そして「大願業力に乗じて」の語に『大経』の第十八願 (念仏往生の願) の意をみられたのであった。
御開山は、この法然聖人の意を承けられて『観経』には隠顕が説かれているとご覧になり、顕では要門 (定散) が説かれ、隠には弘願 (第十八願) が示されているとされたのである。御開山は「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」(教巻P.135)と『大経』に拠るからである。
『浄土論』『論註』の示唆によって「本願力回向」の宗義を顕されたのであった。