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同一念仏…

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年10月5日 (金) 08:34時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

どういつねんぶつ…

 「同一に念仏して別の道なきがゆゑに」(行巻訓) (行巻 P.186,証巻 P.310,真巻 P.372,一代記 P.1320

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『論註』では『浄土論』の「如来浄華衆 正覚華化生」を釈して

 これいかんが不思議なる。おほよそこれ雑生の世界には、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属そこばくなり。苦楽万品なり。雑業をもつてのゆゑなり。
かの安楽国土はこれ阿弥陀如来正覚浄華の化生するところにあらざるはなし。同一に念仏して別の道なきがゆゑなり。遠く通ずるにそれ四海のうちみな兄弟たり。〔浄土の〕眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや。

とされていた。浄土へ生まれるとは、生死輪廻による四生という生まれ方ではなく、阿弥陀仏が回向して下さる、なんまんだぶを称えることで、浄土の正覚の蓮華に化生するのであった。
御開山は「行巻」で、その意を、

ここをもつて『論の註』にいはく、「かの安楽国土は、阿弥陀如来の正覚浄華の化生するところにあらざることなし。同一に念仏して別の道なきがゆゑに」とのたまへり。

と、引文されておられた。