浄土真宗は、名号を本尊とする特異な本尊論を有している。いわゆる『観経』華座観の立撮即行の形象本尊よりも文字(言葉)として顕現する仏を重視したのであった。蓮師の言葉を借りれば、「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」であるが、より正確にいえば凡夫の口先に称えられている、なんまんだぶこそが本尊である。 我弥陀 以名接物(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)のである。