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中道

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2016年11月17日 (木) 22:50時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

ちゅうどう

 両極端を離れた中正の道。 仏教の根本的立場。 釈尊は苦行主義と快楽主義のいずれにもよらない中道の実践によって、さとりを得たといわれる。 龍樹菩薩の 『中論』では、一切を縁起・(くう)と見ることを中道とし、中国の三論宗では、不生・不滅・不定・不断・不一・不異・不去・不来の八不中道を説く。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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『中論』冒頭には、有名な偈

不生亦不滅  不常亦不斷

不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、

不一亦不異  不來亦不出

不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、

能說是因緣  善滅諸戲論

能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、

我稽首禮佛  諸說中第一

我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。

とあり、八つの不とあるので八不(はっぷ)中道といわれる。いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。あらゆる存在は、関係性に()って起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは(くう)とでも呼ぶしかないというのである。また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。